亀山院政期にて、右少史を経て、弘安7年(1284年)従五位下に叙爵する。のち、算博士・大蔵権大輔・穀倉院別当等を務め、弘安11年(1288年)正五位下に叙せられる。正応5年(1292年)大夫史であった祖父の小槻秀氏が没するが、父の益材は既に亡く、伊綱は若年であったことから大夫史を継ぐことはできず、壬生流の顕衡が単独で大夫史を占めた。
正安元年(1299年)左大史に任ぜられて壬生流の統良と大夫史に並ぶと、翌正安2年(1300年)統良が没したために伊綱が官務(左大史上首)となる。その後、卒去までの約15年に亘って官務の地位を占め、延慶3年(1310年)ごろ正五位上に至った。
正和5年(1316年)2月14日卒去。