小沢欽一

日本の元陸上競技選手、指導者 From Wikipedia, the free encyclopedia

小沢 欽一(おざわ きんいち、1947年12月20日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。神奈川県真鶴町生まれ。日本体育大学卒業。

ラテン文字 Kinichi Ozawa
国籍 日本の旗 日本
概要 小沢 欽一おざわ きんいち, 選手情報 ...
小沢 欽一
おざわ きんいち
選手情報
ラテン文字 Kinichi Ozawa
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技
種目 長距離走
大学 日本体育大学
生年月日 (1947-12-20) 1947年12月20日(78歳)
生誕地 神奈川県の旗神奈川県真鶴町
引退 1977年
獲得メダル
陸上競技
アジア競技大会
1974 テヘラン5000m
編集 テンプレートのヘルプを表示する
閉じる

経歴

神奈川県立小田原城東高等学校日本体育大学出身。

高校卒業後は2年間東急に在籍し、5000mは14分18秒2まで記録を伸ばした。

大学時代

1968年、高校の先輩に憧れ日本体育大学に入学。1年時の第45回箱根駅伝では1区を走り区間7位だったが、日本体育大学は初優勝を果たした[1][2]。2年時の第46回箱根駅伝では4区を区間2位で走り、首位をキープ[3]。日体大は連覇を果たした[4][5]

3年時の第47回箱根駅伝では、往路で日体大は4位と振るわず首位の日本大学とは7分55秒の大差をつけられる。6区の今野秀悦が区間賞で5分58秒差まで詰めると、7区を走った小沢は小雪の降る中ハイペースで押し切り、区間新記録を樹立[6][7]。この区間でトップとの差を1分54秒まで縮めた。その後日体大は3位に後退したが、10区の岩渕仁が2つ順位を上げ、逆転で3連覇を飾った[8]。3週間後の第2回全日本大学駅伝では最長区間の4区で区間賞を獲得し、連覇に貢献した。

4年時の第48回箱根駅伝では大会前に怪我に苦しめられていたが、ライバルの順大・宮下敏夫に勝利し、2区で区間新記録を樹立[9][10]。トップで襷を繋いだ。その後、一時は大東文化大学に並ばれたものの首位は譲らず、総合4連覇を達成した[11]。第3回全日本大学駅伝では昨年に続いて4区を走り、宮下に敗れて区間2位だったがチームは3連覇を成し遂げた。

大学卒業後

教師志望だったが自分の力を試すため神戸製鋼に入社し、競技を続けた。1974年に行われたアジア競技大会の5000mに出場し、銅メダルを獲得した。また、1975年の第24回別府大分毎日マラソンでは初マラソン日本最高記録となる2時間13分10秒4で優勝を果たしている[12]。1977年に現役を引退し、川崎製鉄千葉(現:JFE千葉)、ダイワハウス鈴木自動車で女子長距離選手の指導にあたった。

戦績・記録

大学駅伝戦績

さらに見る 学年, 箱根駅伝 ...
学年箱根駅伝[13]全日本大学駅伝
1年生
(1968年度)
第45回
1区-区間7位
1時間04分31秒
なし
2年生
(1969年度)
第46回
4区-区間2位
1時間05分31秒
第1回
ー - ー
出走なし
3年生
(1970年度)
第47回
7区-区間賞
1時間04分43秒
区間新記録
第2回
4区-区間賞
1時間08分18秒
4年生
(1971年度)
第48回
2区-区間賞
1時間13分37秒
区間新記録
第3回
4区-区間2位
1時間13分17秒
閉じる

関連項目

参考文献

脚注

Related Articles

Wikiwand AI