木内敏夫

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フルネーム 宮下敏夫
→木内敏夫
ラテン文字 Kiuchi Toshio
国籍 日本の旗 日本
木内 敏夫
きうち としお
選手情報
フルネーム 宮下敏夫
→木内敏夫
ラテン文字 Kiuchi Toshio
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技
種目 長距離走
大学 順天堂大学体育学部
生年月日 (1949-07-22) 1949年7月22日(76歳)
出身地 埼玉県の旗埼玉県
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木内 敏夫(きうち としお、1949年7月22日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。埼玉県出身。順天堂大学体育学部卒業。

高校時代

埼玉県立熊谷工業高等学校順天堂大学出身。

全国高校駅伝は1年生のときに出場し、1区で区間8位という結果だった[1]

大学時代

1年時の第45回箱根駅伝では1年生ながら2区を走り、区間3位だった。

3年時の第54回日本陸上競技選手権大会5000mで優勝を果たす。2026年現在、5000mを学生が制したのはこれが最後となっている。これにより、アジア大会の5000mの日本代表に選出され、12月10日に行われた本番では6位でフィニッシュした。

アジア大会から約3週間後に行われた第47回箱根駅伝では9区を担当。首位の日本大学とは4分34秒差の3位でスタートしたが、区間新記録の快走で2位に浮上し、首位との差を1分24秒に詰めた。順天堂大学は10区で日本大学を上回り一時は首位に立つも、終盤に通算タイムで日本体育大学に抜かれ、大会史上最小差(当時)の23秒差で2位となり、優勝を逃した[2][3][4]

4年時の第40回日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)の5000mで優勝し、4連覇を達成した[5]

1月の第48回箱根駅伝では2区を走り、従来の区間記録を上回ったが、日本体育大学の小沢欽一に敗れて区間2位だった[6]

実業団時代

大学卒業後はクラレに入社し、1972年の第56回日本陸上競技選手権大会の10000mで優勝を果たした。また、同年の第17回全日本実業団駅伝では最長区間の6区を走り、優勝に貢献した。

引退後

1990年3月に創部した富士通陸上競技部の初代監督に就任し、2002年3月に退任した[7]

戦績・記録

大学駅伝戦績

学年箱根駅伝全日本大学駅伝
1年生
(1968年度)
第45回
2区-区間3位
1時間16分11秒
なし
2年生
(1969年度)
第46回
2区-区間7位
1時間18分19秒
第1回
不出場
3年生
(1970年度)
第47回
9区-区間賞
1時間16分08秒
区間新記録
第2回
不出場
4年生
(1971年度)
第48回
2区-区間2位
1時間14分48秒
区間新記録
第3回
4区-区間賞
1時間13分00秒

全日本実業団駅伝戦績

大会区間距離区間順位記録総合順位
1972年第17回全日本実業団駅伝6区23.45km区間3位1時間11分17秒優勝
1973年第18回全日本実業団駅伝6区23.2km区間18位1時間17分13秒10位
1974年第19回全日本実業団駅伝1区16.3km区間2位48分20秒4位

関連項目

参考文献

脚注

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