木内敏夫
From Wikipedia, the free encyclopedia
高校時代
全国高校駅伝は1年生のときに出場し、1区で区間8位という結果だった[1]。
大学時代
1年時の第45回箱根駅伝では1年生ながら2区を走り、区間3位だった。
3年時の第54回日本陸上競技選手権大会の5000mで優勝を果たす。2026年現在、5000mを学生が制したのはこれが最後となっている。これにより、アジア大会の5000mの日本代表に選出され、12月10日に行われた本番では6位でフィニッシュした。
アジア大会から約3週間後に行われた第47回箱根駅伝では9区を担当。首位の日本大学とは4分34秒差の3位でスタートしたが、区間新記録の快走で2位に浮上し、首位との差を1分24秒に詰めた。順天堂大学は10区で日本大学を上回り一時は首位に立つも、終盤に通算タイムで日本体育大学に抜かれ、大会史上最小差(当時)の23秒差で2位となり、優勝を逃した[2][3][4]。
4年時の第40回日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)の5000mで優勝し、4連覇を達成した[5]。
1月の第48回箱根駅伝では2区を走り、従来の区間記録を上回ったが、日本体育大学の小沢欽一に敗れて区間2位だった[6]。
実業団時代
大学卒業後はクラレに入社し、1972年の第56回日本陸上競技選手権大会の10000mで優勝を果たした。また、同年の第17回全日本実業団駅伝では最長区間の6区を走り、優勝に貢献した。
引退後
戦績・記録
大学駅伝戦績
| 学年 | 箱根駅伝 | 全日本大学駅伝 |
|---|---|---|
| 1年生 (1968年度) | 第45回 2区-区間3位 1時間16分11秒 | |
| 2年生 (1969年度) | 第46回 2区-区間7位 1時間18分19秒 | 第1回 不出場 |
| 3年生 (1970年度) | 第47回 9区-区間賞 1時間16分08秒 区間新記録 | 第2回 不出場 |
| 4年生 (1971年度) | 第48回 2区-区間2位 1時間14分48秒 区間新記録 | 第3回 4区-区間賞 1時間13分00秒 |
全日本実業団駅伝戦績
| 年 | 大会 | 区間 | 距離 | 区間順位 | 記録 | 総合順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1972年 | 第17回全日本実業団駅伝 | 6区 | 23.45km | 区間3位 | 1時間11分17秒 | 優勝 |
| 1973年 | 第18回全日本実業団駅伝 | 6区 | 23.2km | 区間18位 | 1時間17分13秒 | 10位 |
| 1974年 | 第19回全日本実業団駅伝 | 1区 | 16.3km | 区間2位 | 48分20秒 | 4位 |