小泉清

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小泉 清(こいずみ きよし、1899年明治32年〉12月20日 - 1962年昭和37年〉2月21日[1])は、日本洋画家

1899年、小泉八雲ラフカディオ・ハーン)とセツの三男として東京に生まれる[2]。幼少からゴッホの画集を愛読するなど絵画に親しむ[3]

1912年、早稲田中学に進学[2]。教師の會津八一(八雲の教え子でもある)に画才を見出され、安藤更生と友人になる[2]

1919年、東京美術学校西洋画科に進学[2]。先輩の佐伯祐三前田寛治里見勝蔵から影響を受ける[2]。1922年、肺病のため中退[4]ヴァイオリン弾きや、妻の経営するビリヤード場の手伝いで生計を立てる[3]。1934年、母セツが亡くなると、遺産で東京にアトリエ兼新居を構える[2]

1946年、新興日本美術展で入賞し、画壇デビューする[2]。翌年、志賀直哉や里見勝蔵の推薦で、銀座で初個展を開く[2]。以降、梅原龍三郎の丹楓会や朝井閑右衛門の光樹会、国画会に参加する[2]

1950年、小泉八雲の生誕百年祭に招かれ、父母ゆかりの地・島根を初訪問する[2]

1962年、前年病没した妻を追うようにガス自殺した[2][4]。享年62[2]

小泉八雲との関係

父・八雲とは4歳のとき死別している[1]。清が2歳のとき、清が描いた絵を見せると八雲は「オオ、赤と緑です」と答えたという[2]

「八雲の子」「混血児」として見られることを嫌っており、八雲のことを滅多に語らなかった[5]

日記では「西欧的追究か東洋的解脱か」「俺の血管では西欧の血と東洋の血が闘っている」という苦悶を綴っている[2]

自殺した際の遺書では「血が複雑すぎたのだろう」と語っている[3][6][7]

画風・作品

フォーヴィズム的な鮮やかな色彩と[1]溶岩のような絵の具の厚塗りが特徴とされる[1][3]洲之内徹は「孤独と寂寞が影を落としている」と評した[2]

主な作品に『海』『梅林』『仁右衛門島』『ヘルン像』『自画像』など[1]島根県立美術館小泉八雲記念館に所蔵されている[8]

脚注

参考文献

関連文献

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