小田勝美
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大路中学卒業後、国鉄に勤務する叔父の世話で関西鉄道学園に入学。農林業を営む小田の父は卒業後に息子を国鉄に入れ、将来は地元の駅長にしたいという希望を持っていた。ところが、鉄道学園の近くの松下電器の練習を見学したことをきっかけに、小田はバレーボールに興味を持つようになる。そこで、ファンである新日鉄堺の中村祐造宛に、自分は192cmの身長がありバレーボールをやりたいという内容の手紙を送った。中村も長身の小田に興味を持ってさっそく対面し、まずは家族と相談してから新日鐵入りすることを勧めた。しかし相談するも父に反対された小田は、独断で卒業目前の鉄道学園を辞め荷物を纏めて中村のもとにやって来てしまう。そこで中村は小田に2か月間通信教育を受けさせ、鉄道学園の卒業資格を取得した後1971年4月に新日鐵に正式入社、一方で小田の父の説得に当たった。父は新日鐵が世界的な大企業であることを認識しておらず無名の町工場と思っていたが、1年後に中村の勧めで堺製鉄所の広大な敷地を見学してようやく信用し、同意を得るに至った。[2][3]
現役時代には、100cmを越す並外れたジャンプ力のセンタープレーヤーとして活躍し、1976年のモントリオールオリンピックの代表にも選ばれた。日本リーグでは、田中幹保とともに1973年から始まった新日鐵の4連覇、3連覇の立役者としてチームを牽引し、ベスト6にも8回選出されている。また、スパイク賞2回、ブロック賞3回を受賞し、これらの輝かしい球歴に対して、2007年4月に、Vリーグ栄誉賞(個人記録で傑出した選手)を授与された。