小畑忠良
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漢学者、小畑万治郎の六男として大阪府で生まれる。茨木中学校、第一高等学校を経て、1917年(大正6年)3月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を優等で卒業し、銀時計を授与された。住友合資会社に入り総本店経理部に配属された。1923年(大正12年)2月から1925年(大正14年)3月まで欧米に商工業研究のため留学した。
1925年(大正14年)10月、住友総本店経理部第三課長となる。以後、同商工課長、住友電線製造所支配人、同取締役、同常務、同専務、住友合資会社参事、住友本社経理部長を歴任。
1940年(昭和15年)8月、企画院次長に就任。さらに、大政翼賛会企画局長、大日本産業報国会理事長[1]、大政翼賛会事務総長などを務めた。1945年(昭和20年)4月21日、親任式に出席して愛知県知事に就任する[2]が、同年6月に東海北陸地方総監に転じ終戦を迎える。同年10月、東海北陸地方総監が廃官となる。
1946年(昭和21年)9月、弁護士登録を行う。公職追放となり、1951年(昭和26年)8月に解除された。平和運動に参画し、大阪府知事選挙に革新系候補として三度出馬するが、いずれも次点で落選した。
親族
栄典
- 外国勲章佩用允許
- 1944年(昭和19年)7月20日 - 満州国国勢調査紀念章[5]