石原健三
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 石原 健三 いしはら けんぞう | |
|---|---|
|
| |
| 生年月日 | 1864年2月20日(文久4年1月13日) |
| 出生地 |
(現・岡山県瀬戸内市) |
| 没年月日 | 1936年9月4日(72歳没) |
| 出身校 | 東京帝国大学法科大学法律学科(英法)卒業 |
| 前職 |
内務書記官 内務省警保局保安課長 |
| 現職 |
枢密顧問官 竹田宮附別当 |
| 称号 |
勲一等瑞宝章 従四位 |
| 在任期間 | 1922年10月4日 - 1927年5月31日 |
| 在任期間 | 1914年4月28日 - 1915年8月12日 |
| 在任期間 | 1912年12月28日 - 1913年3月3日 |
| 在任期間 | 1911年5月16日 - 1912年12月28日 |
| 在任期間 | 1910年6月14日 - 1911年5月16日 |
その他の職歴 | |
|
(1908年3月28日 - 1910年6月14日) | |
|
(1903年2月27日 - 1908年3月28日) | |
|
(1901年8月14日 - 1903年2月27日) | |
石原 健三(いしはら けんぞう、1864年2月20日(文久4年1月13日) - 1936年(昭和11年)9月4日)は、日本の内務官僚、裁判官、政治家。枢密顧問官、貴族院議員。位階勲等は正二位勲一等。
備前国邑久郡、後の岡山県邑久郡笠加村出身[1]。農業・石原庫平の三男として生まれる。岡山中学、大学予備門を経て、1889年(明治22年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。判事試補となり京橋区治安裁判所勤務となる。以後、司法省参事官試補、民事局勤務、長崎控訴院書記長、熊本地方裁判所判事などを歴任。
1892年(明治25年)10月、内務省に転じ、茨城県参事官、同県内務部第一課長兼第三課長、大阪府参事官、香川県警察部長、岐阜県書記官を歴任。1899年(明治32年)8月、内務省参事官・官房文書課長に就任し、さらに内務書記官・警保局保安課長を務めた。
1901年(明治34年)8月、山梨県知事に任命され[2]、千葉県[3]、高知県、静岡県、愛知県、神奈川県の各知事、北海道庁長官を歴任した。
高知県知事時代は、長年の懸案事項だった県営水力電気事業の推進に尽力している[4]。
1915年(大正4年)8月、宮内次官に就任し、1921年(大正10年)8月まで在任。1922年(大正11年)10月4日、貴族院勅選議員となり[5]、1927年(昭和2年)5月31日[6]まで務める。その後、枢密顧問官となり[7]死去するまで在任。1930年(昭和5年)3月には竹田宮附別当に就任している。1936年(昭和11年)、病気に際し、御尋として天皇・皇后・皇太后から葡萄酒を賜る。同年9月4日死去。死去に際し、天皇・皇后・皇太后より祭資を下賜された。9月7日の葬送には勅使が邸宅を訪問、幣帛の下賜を受けた[8]。 享年73歳。墓所は多磨霊園1区1種2側。