石原健三

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生年月日 1864年2月20日文久4年1月13日
没年月日 (1936-09-04) 1936年9月4日(72歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学法律学科(英法)卒業
石原 健三
いしはら けんぞう
生年月日 1864年2月20日文久4年1月13日
出生地 日本の旗 日本備前国邑久郡
(現・岡山県瀬戸内市
没年月日 (1936-09-04) 1936年9月4日(72歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学法律学科(英法)卒業
前職 内務書記官
内務省警保局保安課長
現職 枢密顧問官
竹田宮附別当
称号 勲一等瑞宝章
従四位
在任期間 1922年10月4日 - 1927年5月31日
神奈川県の旗 官選 第8代 神奈川県知事
在任期間 1914年4月28日 - 1915年8月12日
愛知県の旗 官選 第15代 愛知県知事
在任期間 1912年12月28日 - 1913年3月3日
在任期間 1911年5月16日 - 1912年12月28日
静岡県の旗 官選 第11代 静岡県知事
在任期間 1910年6月14日 - 1911年5月16日
その他の職歴
高知県の旗 官選 第17代 高知県知事
1908年3月28日 - 1910年6月14日)
千葉県の旗 官選 第10代 千葉県知事
1903年2月27日 - 1908年3月28日)
山梨県の旗 官選 第14代 山梨県知事
1901年8月14日 - 1903年2月27日)
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石原 健三(いしはら けんぞう、1864年2月20日文久4年1月13日) - 1936年昭和11年)9月4日)は、日本内務官僚裁判官政治家枢密顧問官貴族院議員位階勲等正二位勲一等

備前国邑久郡、後の岡山県邑久郡笠加村出身[1]。農業・石原庫平の三男として生まれる。岡山中学大学予備門を経て、1889年(明治22年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。判事試補となり京橋区治安裁判所勤務となる。以後、司法省参事官試補、民事局勤務、長崎控訴院書記長、熊本地方裁判所判事などを歴任。

1892年(明治25年)10月、内務省に転じ、茨城県参事官、同県内務部第一課長兼第三課長、大阪府参事官、香川県警察部長、岐阜県書記官を歴任。1899年(明治32年)8月、内務省参事官・官房文書課長に就任し、さらに内務書記官・警保局保安課長を務めた。

1901年(明治34年)8月、山梨県知事に任命され[2]千葉県[3]高知県静岡県愛知県神奈川県の各知事、北海道庁長官を歴任した。

高知県知事時代は、長年の懸案事項だった県営水力電気事業の推進に尽力している[4]

1915年(大正4年)8月、宮内次官に就任し、1921年(大正10年)8月まで在任。1922年(大正11年)10月4日、貴族院勅選議員となり[5]1927年(昭和2年)5月31日[6]まで務める。その後、枢密顧問官となり[7]死去するまで在任。1930年(昭和5年)3月には竹田宮附別当に就任している。1936年(昭和11年)、病気に際し、御尋として天皇・皇后・皇太后から葡萄酒を賜る。同年9月4日死去。死去に際し、天皇・皇后・皇太后より祭資を下賜された。9月7日の葬送には勅使が邸宅を訪問、幣帛の下賜を受けた[8]享年73歳。墓所は多磨霊園1区1種2側。

栄典

位階
勲章等

著訳書

著書
  • 『政治原論』博文館、1890年。
  • 『法理学』博文館、1890年。
  • 天野為之との共著『英国憲法精理』冨山房、1889年。
訳書
  • 木下新三郎との共訳、クレーン著『政治学』冨山房、1891年。

脚注

参考文献

関連項目

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