小畑精和
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東京都に生まれるが父親の転勤に伴い、北九州を経て大阪府寝屋川市に移住。小、中、高校生時代をこの地で過ごす(寝屋川市立第五小学校、大阪市立東中学校、大阪府立大手前高等学校)。学校友達とは関西弁、家庭内では関東弁という生活で、言語に関心を持つようになる。1976年京都大学文学部仏文科卒。85年同大学院博士課程満期退学、明治大学政治経済学部専任講師、88年助教授、95年教授、2008年からは明治大学大学院教養デザイン研究科教授も兼任。1992年より二年間モントリオール大学客員研究員。2004年明治大学国際交流センター副所長、2008年所長。2006年2月明治大学カナダ研究所を設立、初代所長。
2004年に廃刊になった「新日本文学」の最後の編集委員の一人。フォーラム・ジャポン・ケベック(ケベックと日本の友好促進のクラブ)元副会長、千年紀文学の会・設立同人。日本カナダ文学会理事。Globe(国際ケベック研究誌)編集顧問。日本カナダ学会会員(理事)。日本フランス語フランス文学会会員。日本フランス語教育学会会員。AIEQ(国際ケベック研究学会)会員。2004年より第三次「現代の理論」編集委員。2008年10月に日本ケベック学会を設立、初代会長。
2013年11月22日に下咽頭がんのため死去[1]。61歳没。
主な文学活動
石原フランス語蔑視裁判
2004年10月19日、石原慎太郎東京都知事は、東京都立大学を改組して設立する「首都大学」の支援パーティーで「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。そういうものにしがみついている手合いが反対のための反対をしている。笑止千万だ」などと述べた。
小畑の所属する日本カナダ文学会(当時多湖正紀会長)などからも事実に反する発言の撤回が求められたが、なしの礫であったため、フランス語学校校長のマリック・ベルカンヌを中心に謝罪広告など請求訴訟が2005年7月13日起こされ、東京地裁で争われた(敗訴)。小畑は原告の一人として、2005年9月30日には第一回口頭弁論で、意見陳述を行った。また、2005年7月、明治大学の同僚フロランス小川たちと、エスプリをきかして電卓とフランス語参考書をプレゼントして、「フランス語で数が勘定できることを夏休みに勉強してください。また、文化の多様性を理解しあうことの重要性も同時に学んでください」と要望書を提出した。