小笠原長隆 (信濃小笠原氏) From Wikipedia, the free encyclopedia 小笠原 長隆(おがさわら ながたか、生年不明 - 天正9年(1581年)4月)は、戦国時代の武将。通称は又次郎、右馬助。徳川家康や上杉謙信に仕えた。小笠原長時の長男で小笠原貞慶の兄。小笠原貞頼の父とする説があるが不明である[注釈 1]。母は仁科盛能の娘。 父や弟とともに京都の三好氏の元に寄寓したとされるが、上杉謙信の下に留まっていたとする説もある[3]。 元亀2年(1571年)3月、一族の遠江高天神城城主・小笠原長忠(信興)が武田信玄に攻められた際は救援に向かい、城を守備した。その後は越後の上杉氏を頼り(『謙信公御書集』)、天正9年(1581年)4月、越中富山の戦いで織田信長の家臣・佐々成政らの連合軍に敗れて戦死した。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 大槻文彦『小笠原島新誌』にある「史記」の記述によれば、小笠原貞頼の祖父が長隆、父が長元であるとする[1]。しかし、異説もあり、そもそも小笠原貞頼の名について『小笠原家譜』や『寛政重修諸家譜』などには記載されていない[2]。詳細は小笠原貞頼を参照。 出典 ↑ 大槻文彦『小笠原島新誌』須原屋伊八、1876年。https://dl.ndl.go.jp/pid/763679/1/22。 ↑ “コラム 小笠氏が発見したから小笠原諸島か”. 「国宝松本城を世界遺産に」推進実行委員会. 2026年1月2日閲覧。 ↑ 村石正行「〈川中島合戦〉と室町幕府」福原圭一・前嶋敏 編『上杉謙信』高志書院、2017年、P168. 参考文献 『寛政重修諸家譜 巻第188』 Related Articles