小袖の手
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『今昔百鬼拾遺』の解説文には「唐詩に 昨日僧裙帯上断腸猶繋琵琶絃とは 妓女亡ぬるを いためる詩にして 僧に供養せしうかれめの帯に なを琵琶の 糸のかかりてありしを見て、腸をたちてかなしめる心也 すべて 女ははかなき衣服調度に心をとどめて なき跡の小袖より 手の出しをまのあたり見し人ありと云」とある。
遊女の死後、死皮(死者の衣服を寺に収める風習)となった小袖を見て、友人たちがその遊女の在りし日を偲んで悲しむ一方、当の遊女はむしろ、誰から身請されずに死ぬまで不自由な生活を強いられたことを悲しみ、身請の金を求めるあまり小袖から手が伸びているのであり[1]、江戸時代の吉原遊廓を風刺した創作と解釈されている[2]。
また、遊女がこの小袖を着飾りたかった願いが叶わず、その怨みによって小袖から手が伸びたもの[3]、または小袖の持ち主だった女の生への執着心の妖怪化[4]、付喪神(器物が化けた妖怪)の一種などともいわれる[5]。
妖怪を主題とした嘉永時代の狂歌本『狂歌百物語』にも「小袖手(こそでのて)」と題して描かれており、本来、死んだ人間の小袖は形見の品となったり、寺に納められて供養されるはずが、高級な小袖が売却され、成仏できない霊がその小袖に取り憑いたものと解釈されている[6]。

