小野二郎
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死去後の回顧展
- 出生から修学期
1929年、東京府高円寺で生まれた。1947年、東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を卒業。東京大学教養学部教養学科イギリス科で学び、1955年に卒業。同大学院比較文学比較文化に進み、1958年に修士課程を修了した。
- 出版社に勤務
卒業後は出版社の弘文堂に勤務し、谷川雁の評論集「原点が存在する」や「現代芸術論叢書」シリーズを企画し、師の島田謹二『ロシヤにおける広瀬武夫』や、澁澤龍彦『サド復活』、篠田一士『邯鄲にて』等多くを刊行した。
1960年、中村勝哉と共に晶文社を設立し、のち編集顧問。弘文堂を退職し、東海大学専任講師となった。1962年、武井昭夫の推薦で新日本文学会に入会。1963年、明治大学政治経済学部専任講師に就いた。1964年に助教授、1967年には文学部助教授に転じた。
1970年、「新日本文学」編集長となった。1971年、明治大学文学部教授に昇格。ウィリアム・モリスなどイギリス工芸運動の思想家たちに学びながら、大衆芸術運動の実践を通じた社会変革の実現を構想した。モノとしての書物についての独創的な分析や、イギリスの生活文化の紹介などの著作を手掛け、多くの読者をもった。1982年、心筋梗塞で急逝。
2019年4月27日から6月23日まで、世田谷美術館[1]で、展覧会「ある編集者のユートピア 小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校」が開催された。