少弐盛経 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 鎌倉時代中期生誕 建長6年(1254年)または正嘉元年(1257年)死没 徳治3年1月25日(1308年2月17日)別名 崇恵(法名) 凡例少弐盛経時代 鎌倉時代中期生誕 建長6年(1254年)または正嘉元年(1257年)死没 徳治3年1月25日(1308年2月17日)別名 崇恵(法名)官位 従五位下 太宰少弐、筑前守護、筑後守護、壱岐守護、対馬守護幕府 鎌倉幕府主君 惟康親王氏族 少弐氏父母 少弐経資兄弟 盛経、資時、時経、盛氏、貞資子 貞経、資信、経清、朝日資法テンプレートを表示 少弐 盛経(しょうに もりつね)は、鎌倉時代中期の武将。少弐氏4代当主。 少弐経資の長男[1]と思われる。父の経資の亡くなる前後に[2]筑前・対馬・壱岐守護を相伝している。しかし、武藤少弐氏三代が継承していた筑後・豊前・肥前・の守護国[3]は、北条得宗などの手に渡った。 永仁5年(1297年)、初代鎮西探題の北条兼時、北条時家が九州に赴任された。鎮西探題は筑前の博多にあったとされる。それ以降、鎮西探題は鎌倉幕府滅亡まで続くことになる。 少弐盛経は、外はモンゴル帝国の第三次侵攻に備え、内は北条氏の支配が次第に強まる時代の少弐氏の苦難の始まりであった。 徳治3年(1308年)1月25日に、52歳(または55歳[4])で鎌倉で卒す。 脚注 ↑ 『武藤少弐興亡史』(p.20)に長男と記述あり。元寇の際に、壱岐で戦死した少弐資時の生年が1263年のためである。 ↑ 『武藤少弐興亡史』(p.20)の記述では、亡くなる前年(1291年)に父から相伝したとある。『国別守護・戦国大名事典』(p.252)で筑前守護は1294年~1304年とあるので前後と訂正。 ↑ 『『国別守護・戦国大名事典』(p.255~265)で豊前守護は1279年から北条氏。筑後守護は1295年から宇都宮氏。肥前守護は1281年から北条氏にそれぞれ任じられている。 ↑ 『新撰事蹟通考 巻之三十一』(『肥後文献叢書 第三巻』(隆文館、1910年)p.466) 参考文献 西ヶ谷恭弘『国別守護・戦国大名事典』1998年 渡辺文吉『武藤少弐興亡史』 海鳥社、1989年 Related Articles