少弐資時
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文永11年(1274年)の文永の役で、叔父・少弐景資に従って12歳で初陣を果たした。弘安4年(1281年)の弘安の役では、壱岐の守護代だったとされる[2][3]。祖父・資能や父・経資らと共に百余騎を率いて壱岐に上陸した元軍(東路軍)と交戦するも、圧倒的な兵力差の前に壊滅し、資時はじめ主従一同は玉砕した[4]。享年19[3]。
この壱岐島の戦いで敗退した東路軍は壱岐を放棄して、平戸島に移動した。のちに叔父・景資は、鷹島で蒙古軍を殲滅させる。大正4年(1915年)11月10日、従四位の位階が追贈された[5]。
壱岐神社・壱岐護國神社(壱岐市芦辺町)の祭神として祀られている。また、隣接する少弐公園には、「ショウニイさま」と呼ばれた少弐資時の石積みの墓がある。墓は、戦死の地である壱岐の新城山にあり、現在は少弐公園として整備されている[3][4]。