尚裕
第二尚氏の人物
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生涯
東京都出身[4]。1918年(大正7年)、尚昌の長男として生まれる[5]。母は小笠原忠忱の次女・百子。父が1923年(大正12年)に死去したため侯爵位を襲爵した[6]。東京帝国大学文学部を卒業[7]、海軍大尉となり、終戦を迎えた[4]。
戦後は、大戦での被害を免れた伝承文化財の保存に努めた。1975年(昭和50年)より私財を投じて識名園の復元に当たる。翌年には国の名勝に再指定され、国・沖縄県・那覇市からも補助を受けて復元を進めた[8]。
そのほか、玉陵や崇元寺第一門・石牆の復元にも当たった[8]。しかし、沖縄県当局側では永続的に保管維持するための設備が整えられず、やむなく1988年(昭和63年)、当時居住していた東京都台東区への寄贈を一旦は決めた[9]。しかし、これが沖縄県民の反発を買い、更に同県の文化財行政のあり方に影響を与え、翌1989年(平成元年)に琉球王国文化遺産の県外流出を防止する意見書が那覇市議会において全会一致で採択されるなどした[10][11]。
1992年(平成4年)、玉陵、識名園、崇元寺第一門・石牆を那覇市に寄贈した[12]。さらに1995年(平成7年)には琉球王国の陵墓浦添ようどれの土地を浦添市に寄贈した[1]。また、同年9月には尚家伝来の古文書1341件を寄贈、1996年(平成8年)には美術工芸品85件を寄贈している[13]。これらは、2006年(平成18年)に「琉球国王尚家関係資料」として国宝に指定された[14]。文化財保護法に基づく国宝としては沖縄県で戦後初の指定である[14]。
1996年、那覇市より名誉市民の称号を授与される[15]。死去するまでの数年間は東京と沖縄を往復し[4]、晩年の多くは沖縄で暮らしていたが、尚家一族との交流はほとんど無かったという[16]。1997年(平成9年)8月30日、沖縄県那覇市の沖縄赤十字病院にて死去[2]、翌月の9月3日に東京都台東区の寺院で告別式が行われ、長男の尚衞が喪主を務めた[17]。2005年(平成17年)に沖縄に送られ伊是名玉陵に葬られた[18]。2010年(平成22年)には浦添市より名誉市民の称号を授与された[1]。