元々は泰山付近で独立した小勢力を有していた。臧覇が開陽で独立勢力を立ち上げると、尹礼は孫観・呉敦と共にその配下となっている。
曹操と呂布が対立した際には、臧覇に従い呂布の味方をする。しかし、建安3年(198年)に曹操が呂布を滅ぼすと、臧覇らと共に曹操に降伏した。臧覇が琅邪国相に任命されると、尹礼も東莞太守に任命されるという厚遇を受けた。その後、尹礼の名は史書に現れない。
なお黄初3年(222年)に、呉に侵攻した魏軍が徐盛に撃ち破られたが、このとき戦死した魏将に「尹盧」という人物がいる。これは、かつて「盧児」と渾名されていた尹礼を指している可能性もある。