尼子富士郎

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広島出身の医師で医学中央雑誌の創設者でもある尼子四郎の長男として山口県下松市で生まれ、まもなく一家で上京する[1]誠之小学校では中川一政と同級生であり、また東京高等師範学校附属中学校の受験のため夏目漱石に英語の個人教授を受けていた[3]

業績

世界に先駆けて老年医学の重要性に着目し、その研究と教育の先駆者と評価されている。日本老年医学会は「尼子賞」を設けている[4]

その一方、父から医学中央雑誌の編集を引き継ぎ、全ての文献の採択、抄録の編集、校正に目を通し、それを優先するため生涯国外に出なかった。現在の「医中誌」の社屋は富士郎の自宅跡に建てられている[3][5]

人物

誠実で控えめな人柄。戦時中に浴風園が陸軍に占拠され、また応召のため医師がほとんどいない状態で献身的な貢献を続けた[6]。囲碁、観劇を趣味とし、ゴルフ、乗馬を嗜んだ[1]

受賞

  • 東京都功労者表彰(1953年、社会福祉事業)[7]
  • 紫綬褒章(1963年)
  • 武田医学賞(1965年)[8]
  • 朝日社会奉仕賞(1965年)[6]
  • 日本医師会最高優功賞(1967年)[2]

著書

  • 『老化』医学書院、1974年。

論文

参考文献

外部リンク

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