尾高邦雄
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- 出生から修学期
1908年、実業家・尾高次郎の五男として東京市根岸に生まれた[1]。1926年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同級生には、勝田守一、宗像誠也(共に「東大教育の3M」)らがいた。第二高等学校を経て[1]、東京帝国大学文学部社会学科に入学[1]。次第にマックス・ウェーバーに関心を持つようになった。1932年に卒業論文『社会学における了解的方法』を提出して卒業[1]。
- 研究者として
卒業した同1932年に、母校・東京帝国大学文学部副手に採用された[1]。東京大学社会科学研究所主任研究員となるが[1]、1934年に東京大学社会科学研究所は閉鎖勧告を受けて解散。1937年に東京帝国大学文学部助手に就いた[1]。1942年に同講師[1]に昇格。戦後の1945年に東京大学文学部助教授[1]に昇格。
- 戦後
1947年、学位論文『職業社会学』で文学博士号を取得[2][1]。1953年、同教授に昇格[1]。1969年に東京大学を定年退官し[1]、名誉教授となった。その後は上智大学教授として教鞭をとった[1]。1979年に、上智大学を退職。1988年12月に日本学士院会員に選出された[3]。