山内恭彦

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生誕 (1902-07-02) 1902年7月2日
日本の旗 日本 神奈川県
死没 1986年10月13日(1986-10-13)(84歳没)
研究分野 物理学
山内 恭彦
人物情報
生誕 (1902-07-02) 1902年7月2日
日本の旗 日本 神奈川県
死没 1986年10月13日(1986-10-13)(84歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 物理学
研究機関 東京高等学校東京大学上智大学
学位 理学博士
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山内 恭彦(やまのうち たかひこ、1902年7月2日 - 1986年10月13日[1])は、日本理論物理学者東京大学名誉教授従三位勲二等旭日重光章に叙される。

1902年、神奈川県で生まれた。府立一中一高で学び、東京帝国大学理学部物理学科に入学。物理学科では寺沢寛一の指導を受け、また同級生には菊池正士坪井忠二がいた。1926年3月、東京大学理学部を卒業。

1926年4月、東京帝国大学理学部助手に採用された。1927年、東京高等学校教授に就いた(1931年3月まで)。1929年2月、東京帝国大学工学部講師となり、1929年3月に同助教授に昇格。小谷正雄と協力して研究を進めた。1938年、学位論文『原子勢力準位の計算について』を東京帝国大学に提出して理学博士号を取得[2]。1942年4月、東京帝国大学第二工学部教授に昇格した。

戦後の1949年4月、東京大学理学部教授となり、原子物理学第一講座を主宰した。1959年10月からは核反応講座を担当し、1961年10月まで理学部長を務めた。1963年3月に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は上智大学理工学部教授として教鞭を執った。1986年10月13日に死去。墓所は染井霊園(1イ-1-19)にある。

受賞・栄典

研究内容・業績

  • 原子物理学原子核物理学、応用数学の諸分野で活躍、計算機や科学哲学の方面にも深い理解を示し、後進の育成に努力した。特に群論を使った原子構造の解明などに業績を残した。
  • 東京大学理学部物理学教室の運営に力をいれていた。小柴昌俊にとっては大学院時代の恩師にあたる。
  • その著書『一般力学』(岩波書店)は研究者の卵のための力学教科書として、また『回転群とその表現』(岩波書店)は物理研究者のための群論としていずれもその名が高い。

家族・親族

著作

脚注

参考文献

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