山内恭彦
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1902年、神奈川県で生まれた。府立一中、一高で学び、東京帝国大学理学部物理学科に入学。物理学科では寺沢寛一の指導を受け、また同級生には菊池正士、坪井忠二がいた。1926年3月、東京大学理学部を卒業。
1926年4月、東京帝国大学理学部助手に採用された。1927年、東京高等学校教授に就いた(1931年3月まで)。1929年2月、東京帝国大学工学部講師となり、1929年3月に同助教授に昇格。小谷正雄と協力して研究を進めた。1938年、学位論文『原子勢力準位の計算について』を東京帝国大学に提出して理学博士号を取得[2]。1942年4月、東京帝国大学第二工学部教授に昇格した。
戦後の1949年4月、東京大学理学部教授となり、原子物理学第一講座を主宰した。1959年10月からは核反応講座を担当し、1961年10月まで理学部長を務めた。1963年3月に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は上智大学理工学部教授として教鞭を執った。1986年10月13日に死去。墓所は染井霊園(1イ-1-19)にある。