山口家 (地下家) From Wikipedia, the free encyclopedia 本姓 蘇我氏系宗岡朝臣→源朝臣→紀朝臣家祖 宗岡朝治種別 皇別出身地 山城国京都山口家 本姓 蘇我氏系宗岡朝臣→源朝臣→紀朝臣家祖 宗岡朝治種別 皇別出身地 山城国京都主な根拠地 山城国京都著名な人物 山口孝昌凡例 / Category:日本の氏族 山口家(やまぐちけ)は、蘇我氏系宗岡氏をルーツにもつ一族。安土桃山時代から江戸時代にかけて代々史生を務めた。後に源氏・紀氏に改姓した[1]。 山口氏の祖は宗岡朝治とされる。朝治の父は宗岡継友、母は主殿寮秀信の娘。『地下家伝』によると、朝治は元亀3年(1572年)に生まれ、慶長5年(1600年)9月3日に正六位上右史生に叙任された。同20年(1615年)1月5日には従五位下に叙され、元和6年(1619年)4月19日に49歳で死去した。また、時期は不明だが(慶長5年(1600年)か)、後陽成院に取り立てられて行事官になったという[1]。 朝治の次代は山口孝昌である。孝昌の実父は下北面・富島伊豆守源元教で、母は吉田社司左京進治俊の娘。慶長10年(1615年)に生まれ、元和6年(1619年)6月9日には先代の宗岡朝治が死去したことに伴い大蔵少輔に任じられ、同14日には右史生となった。また、同時に宗岡氏に改姓した。同年10月12日には従五位下に叙されたものの、寛永13年(1636年)10月14日に32歳で死去した[1]。 孝昌の子は山口忠治で、母は朝治の娘。寛永2年(1625年)に生まれ、同13年(1636年)12月10日には父の孝昌が死去したことに伴い正六位上に叙され、同14日に右史生となった。承応3年(1654年)12月23日に従五位下に叙されたが、寛文元年(1661年)12月9日に37歳で死去した[1]。 忠治の子は山口重基で、母は松平下総守忠明の家臣・矢沢豊則の娘。承応3年(1654年)に生まれ、寛文2年(1662年)9月29日には父の忠治が死去したことに伴い正六位下に叙され、同10月5日に右史生となった。延宝5年(1677年)閏12月21日には淡路目に任じられた。貞享2年(1685年)12月24日には従五位下となり、同4年(1687年)6月15日には神祇大祐に任じられたものの、元禄2年(1689年)閏1月17日には36歳で死去した[1]。 重基からは 山口季雄(母は蜂須賀綱矩家臣・昌因の娘) 山口章親(実は高槻城主永井直清家司・関勝貞の子) 山口弘業(実は鴨脚秀久の子。実の兄弟に中原姓山口氏を継いだ山口英昌がいる) 山口春清(実は円満院門跡坊官法印胤信の子で、養母は山口重基の娘) 山口春昌(実は山口右大史安倍盛行の子で、養母は弘業の娘) 山口知昌(実は聖護院宮坊官・今大路法印泰治の子) 山口敬昌(実は内竪頭・源珍之の末男) 山口尹昌(知昌の子) 山口以昌(実は敬昌の子) 山口寧永 と続いた[1]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 出典 1 2 3 4 5 6 三上景文『地下家伝 第1-7 (日本古典全集 ; 第6期)』(日本古典全集刊行会、1937年) Related Articles