明星高校では3年夏に府大会準決勝まで進むがPL学園高に敗退。立命館大学を経て、1980年オフにドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。
サイドスローの変化球投手。球威不足から敗戦処理が主な登板で、1986年限りで現役を引退。
1982年10月18日の対中日最終戦に4番手として登板。長崎慶一とともに首位打者がかかった中日・田尾安志はこの試合で5打席連続敬遠され、その5打席目の投手となった。田尾は山口との対戦でボールカウント0-3からの敬遠球2球をスイングし、周囲を驚かせた[1]。
引退後は、打撃投手を経て球団職員に転身。2008年度まで業務部(シーレックス)専任部長。