山口文洋
From Wikipedia, the free encyclopedia
神奈川県秦野市出身。教育熱心な家庭で育ったが、小学5年から中学3年までの約5年間、激しい反抗期に入る。地元でやり直すことは不可能と考え、地元を離れ横浜の私立高校に行かせてほしいと親に頭をさげ[1]、桐蔭学園高等学校へ入学。
慶應義塾大学商学部入学。大学一年からパチンコに勝つためのルールに夢中になり、25歳までパチプロとパチンコ屋に入り浸る日々を過ごしていた。 大学卒業後、3年間パチプロの傍ら公認会計士の試験勉強を続けていたが、弟が公認会計士に一発合格したことを機に、家族から「まともに社会に出て働く気がないなら絶縁する」と宣告される。 一念発起し、就職・転職エージェントにいた親友に相談した結果、ITベンチャーに半年間試験的に採用されることになった。拾ってもらったことへの感謝の気持ちから、3年間必死にシステムエンジニアとしてWebサービスやプロダクトマネジメントを経験した[2]。
勤めていたITベンチャーが買収されることになり、憧れの先輩たちが一斉に辞めていくなか、転職を考えるようになる。インターネットに詳しく、ノリがリクルートっぽいという理由から、友人に誘われるまま28歳でリクルートへ入社。進学事業への配属となる。
人材派遣事業やゼクシィ、SUUMOなどの花形事業と比較し、高校生の進路決定のための情報サイトや情報誌をつくる進学事業は伸び悩んでいたが、全社的に行われる新規事業コンペ「NewRing」での優勝を狙った。 入社1年目から挑戦を続け、6年目にして、「受験サプリ(現:スタディサプリ)」で優勝。2012年に統括部長、2015年4月からリクルートマーケティングパートナーズ 代表取締役社長に就任。
2016年、LITALICOの長谷川敦弥社長に出会い、2022年に代表取締役副社長として、同社に入社[3]。
「MBOによって上場を廃止し、四半期決算を気にせず、2030年以降の教育業界を見据えて、ゼロリセットしてもいいから、君に子どもたちや学校に向けた教育サービスのプロデュースを託したい」とオファーを受け、2025年にベネッセコーポレーションに取締役副社長 執行役員 兼 CPOとして入社[4]。