山室機恵子
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岩手県花巻の川口村(市町村制施行後は花巻川口町)に開明的な素封家の佐藤庄五郎の長女として生まれる。佐藤家は代々豪農で、庄五郎は農村改良指導者として天皇から奨励金を授与されたこともあった。
地元の高等小学校を卒業後、家業の養蚕を手伝っていたが、『女学雑誌』でキリスト教に触れ、1892年に上京、明治女学院に入学する。在学中、一番町教会に通い、1891年植村正久より洗礼を受ける。
1893年明治女学校普通科を卒業し、継いで高等文科に進み、1895年に卒業後は東京婦人矯風会の書記を経て、下田歌子らの大日本婦人教育会が設立した女紅場で教壇に立つ傍ら、『女学雑誌』の事務仕事にも携わった。
1895年に来日した救世軍に協力し、行儀作法を伝授する。1899年6月、九段のメソジスト教会で山室軍平と日本初の救世軍結婚式を行った[1]。山室民子、山室武甫ら6人の子供を儲ける。軍平の廃娼運動を支援し、1900年解放された娼妓のために醜業婦救済所(婦人ホーム)を開設し、責任者になる。
1916年結核療養所設立の募金活動の中で倒れ入院、末子・使徒を出産するも、その後危篤になり死去する。
死後、1917年救世軍療養所内に機恵子記念会堂が建てられた。
