山尾古墳
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概要
京都府中部、岳山の山塊から南に延びる尾根の南斜面(標高約125メートル)において、斜面をL字に掘削・整地して築造された古墳である。1994年度(平成6年度)に京都縦貫自動車道建設に伴う発掘調査が実施されたのち、工事で大部分が失われている。
墳形は方形。墳丘は2段築成で、墳丘の築造にあたっては唐大尺(約29.7センチメートル)の使用が推測される[1]。版築は認められていない。墳丘1段目は東西約9メートル・南北約9.7-9.9メートル、2段目は東西7.6メートルを測り、前面(南面)には列石が巡らされる[2]。墳丘南側には列石を伴う2段のコ字状テラスを有し、墳丘と合わせて計4重の列石が配される。テラスの第1列石は東西推定約21.4メートル、第2列石は東西約13.8メートルを測る[2]。テラス状遺構を含めた古墳全体の高さは6メートル[2]。埋葬施設は無袖式の横穴式石室で、南方向に開口した。石室内は盗掘に遭っており、調査では若干の須恵器のみが出土している。
築造時期は、古墳時代終末期の7世紀後半頃と推定される[2]。墳丘前面に2段のテラス状方形壇を付す墳丘形態は、段ノ塚古墳(奈良県桜井市、舒明天皇陵)に代表される、終末期古墳に特徴的な段ノ塚式として注目される[3]。また綾部市内の古墳としては最後に築造に位置づけられ、市内の綾中遺跡群(何鹿郡衙か)・綾中廃寺跡の存在を考え合わせて、何鹿郡の開発を主導した新興氏族(特に刑部氏)が被葬者像として想定される[3]。
埋葬施設
関連施設
- 綾部市資料館(綾部市里町久田) - 山尾古墳の復元模型を展示。
