山崎義方
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寛文7年(1667年)、備中国成羽領初代領主山崎豊治の三男として成羽で生まれる。母は豊治の側室。正室は近江国仁正寺藩2代藩主市橋政信の娘。義兄には仁正寺藩第3代藩主市橋信直がいる[1]。なお、市橋家とは遠縁の関係に当たる。義方の伯父讃岐国丸亀藩2代藩主山崎俊家と、義方の正室の祖父に当たる越後国新発田藩3代藩主溝口宣直は、共に正室が豊後国臼杵藩3代藩主稲葉一通の娘であるため義兄弟の関係である。
延宝3年(1673年)10月26日、次兄常治が16歳で早世したことにより世継となった。翌延宝4年(1676年)12月15日、10歳の時に徳川家綱に拝謁した。その後、元禄元年12月9日(1688年12月31日)に父・豊治の隠居に伴い、成羽領5,000石の家督を相続した。翌元禄2年(1689年)6月、幕府の許可を得て初めて成羽へのお国入りを果たす。宝永元年(1704年)、義方は尊崇していた江戸の愛宕神社を成羽の愛宕山頂に勧請し、愛宕神社に白谷提にて花火を奉納。この花火は現在でも「成羽愛宕大花火」として毎年7月に開催されている[2][3]。なお、江戸時代を通じて山崎氏の江戸屋敷は麻布愛宕下に所在していた。また領主在任中は、罪人の預かりなどを勤めている[4]。