山平和彦
From Wikipedia, the free encyclopedia
高校在学中から地元で歌っていた山平は、1970年にURCレコードから「山平和彦とザ・シャーマン」名義でシングルをリリース[1][2]。1972年にアルバム『放送禁止歌』(ベルウッド)でアルバムデビュー[1][2]。タイトル曲の放送禁止歌が文字通り放送禁止になり、収録曲の入れ替えなどで物議をかもす[1][2]。
URC時代のシングルは、1960年代のロックを意識した曲で、後の作品にはない攻撃性が伺われる内容となっている。ベルウッドレコード在籍時には、民謡とフォークソングの融合された素朴な作品がアルバムに多数収録されており、「放送禁止歌」など、現代詩に繊細なメロディーをつけたものも多く見られる。
『風景』(ベルウッド)、『ライヴ』(ベルウッド)、『星の灯台』(日本フォノグラム・ニューモーニングレーベル)、『女郎花の譜』(ポリドール)などの作品を残した。また、バックバンドだったマイ・ペースをプロデュースし、『東京』のヒットも生んだ。
1977年2月、引退を表明。1980年に入り、音楽制作会社「アビーロード・プロモーション」を立ち上げる。マイペースの森田、伊藤も一時期働いていた。
以降、音楽活動はほぼ休止していたが、1999年5月に放映された森達也制作の深夜番組「放送禁止歌 〜歌っているのは誰? 規制しているのは誰?〜」に出演したのをきっかけに活動を再開[3]。
2004年10月12日夜、東京都足立区の尾竹橋通りでひき逃げ事故に遭遇し、13日未明に死去[4][1][2]。享年52[1][2]。加害者は2005年1月27日に業務上過失致死、道路交通法違反(ひき逃げ)容疑で逮捕された[5][6]。