山本太郎 (医師)

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山本 太郎(やまもと たろう、Taro YAMAMOTO)は、日本の医師医学者。学位は博士(医学)長崎大学1995年)、博士(保健学)東京大学1998年)。長崎大学熱帯医学研究所 国際保健学分野 教授[2]天皇皇后への新型コロナウイルスなど感染症の進講役も務める[3]。主たる業績としては、新興感染症対策に「共生・共存」という新たなパラダイムを提唱したことが挙げられる。2025年には30年に及ぶ研究生活に終止符を打ち、世田谷奥沢で小さな診療所で勤務している。一方で執筆活動にいそしんでもいる。

所属学会

  • 1964年、広島県に生まれる。忠海東、忠海西小学校、忠海中学を経て、1982年広島県立竹原高等学校を卒業。学生時代は漕艇部に所属し七年間ボート漬けの生活を送る。1990年長崎大学医学部卒業。卒業後は市立札幌病院救急部の医師として勤務(臨床研修)。1995年、成人T細胞白血病ウイルスに関する研究で長崎大学大学院医学研究科修了、博士(医学)を取得。その後東京大学大学院に進学し、1998年修了、博士(保健学)取得。
  • 1998年、長崎大学熱帯医学研究所・助手となり、翌年JICAより感染症対策プロジェクトのチーフ・アドバイザーとして、アフリカ南部のジンバブエ国保健省へ派遣された。
  • 2000年、ジンバブエより帰国し京都大学大学院医学研究科社会健康専攻国際保健学分野・助教授となる。主な研究分野はHIV /エイズ。
  • 2002年ハーバード大学・特別研究員(武見フェロー)
  • 2003年コーネル大学医学部・感染症内科客員准教授となり、西半球の最貧国ハイチのカポジ肉腫・日和見感染症研究所へ派遣される。ハイチでは、クーデター後の混乱に巻き込まれ、半内戦下に1ヶ月を過ごす。詳しくは『ハイチ いのちとの闘い 日本人医師の300日』に詳しい。
  • 2004年 - 2007年、ハイチから帰国後、外務省国際協力局にて課長補佐として働く。日本の国際保健政策の立案や新型インフルエンザ対応に従事する。
  • 2007年ー2024年、長崎大学熱帯医学研究所・国際保健学分野・主任教授。
  • 2012年 - 大連医科大学・客員教授
  • 2015年 - 福建医科大学・客員教授
  • 2024年、長崎大学名誉教授。一人ひとりの患者の「小さくても大切な物語」に向き合うため長崎大学を早期退職し、一人の医師として働くことを決意したという。長野県佐久市にある浅間総合病院で研修。
  • 2025年、東京都世田谷区奥沢で、小さな診療所「奥沢診療所」を開業。同時に日曜美術館などを主催し、医療と芸術の融合を試行している。

アフリカ、ハイチなど50か国近い途上国で感染症対策に従事する。

ほか

関連項目

著書

脚注

外部リンク

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