山本弘文
From Wikipedia, the free encyclopedia
経歴
出典は『琉球の歴史と文化/山本弘文博士還暦記念論集』による[3]
- 1923年(大正12年)7月、旧東京府東京市下谷区御徒町(現、東京都台東区御徒町)に生まれる。
- 1923年(大正12年)9月、関東大震災により長野県下高井郡平穏村(現、山ノ内町)に帰郷、そこで育つ。
- 1941年(昭和16年)4月、旧制第四高等学校(石川県金沢市)文科乙類に入学。
- 1943年(昭和18年)9月、旧制第四高等学校卒業。
- 1943年(昭和18年)10月、東京帝国大学経済学部へ入学。
- 1943年(昭和18年)12月、「在学徴収延期臨時特例」いわゆる学徒出陣により金沢市陸軍歩兵連隊に入隊。
- 1944年(昭和19年)4月、三重県鈴鹿市陸軍航空整備学校に入校。
- 1944年(昭和19年)10月、第二航空軍第二三教育飛行隊(中国東北部・旧満州)へ配属。
- 1945年(昭和20年)8月、終戦により、ソ連に抑留。ハンカ湖、ハバロフスク付近で労働に従事。
- 1949年(昭和24年)9月、ソ連より復員。東京大学経済学部に復学。
- 1952年(昭和27年)3月、東京大学経済学部卒業。
- 1952年(昭和27年)4月、法政大学経済学部助手に就任。
- 1955年(昭和30年)4月、法政大学経済学部助教授に就任。
- 1963年(昭和38年)4月、法政大学経済学部教授に就任。
- 1967年(昭和42年)5月、法政大学学生部長に就任。
- 1972年(昭和47年)9月、法政大学経済学部長に就任。
- 1972年(昭和47年)10月、法政大学沖縄文化研究所兼担所員となる。
- 1975年(昭和50年)6月、ウィーン大学日本文化研究所へ留学。研究のかたわらウィーン大学非常勤講師として日本経済史の講義を担当。
- 1979年(昭和54年)3月、法政大学から経済学博士の学位を取得。
- 1982年(昭和57年)、国際連合大学プロジェクト、人間と社会の開発プログラム「技術の移転・変容・開発―日本の経験」で原田勝正、増田廣實、青木栄一ら諸氏との共同研究を組織、その成果を社会経済史学会全国大会で共通論題「工業化と輸送」として発表。
- 1997年(平成9年)、交通史研究会(現・交通史学会)第2代会長に就任( - 2003年)[4]。