THE SAIHOKUKAN HOTEL
日本の長野県長野市にある老舗ホテル
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概要
長野駅から善光寺に向かう、ちょうど中間あたりに立地する、国内屈指の老舗ホテル。天皇家、宮家の宿泊は日本で最多のホテルと言われている。
1998年(平成10年)の長野オリンピックの際には、皇族の宿泊をはじめ、国際オリンピック委員会会長のフアン・アントニオ・サマランチ(当時)、スペイン国王などの国賓、重要来賓が来館した。
格調高い館内には、約800名を収容できるグランドボールルームがある。「ボールルーム」とは明治・大正時代の西洋において、社交ダンスやパーティーを行う為の部屋のことである。犀北館のグランドボールルームは、民間施設として初めて宮中晩餐会の会場となった。
東郷青児、中川紀元が滞在し、制作したステンドグラスがメインバー「SEIJI」に現存している[2]。この東郷青児のステンドグラスは、ホテルのロゴマークの元にもなっている。
2023年(令和5年)には飯綱高原に移築されている大正時代の旧長野県庁舎(その後は旧県自治研修所)の建物の優先交渉権を獲得しており、建物の部材活用や一部移築の構想がある[3]。
沿革
- 1827年(文政10年)郷宿(ごうやど)松田屋の屋号が『長野県史』に所載
- 1887年(明治20年)長野市県町に旅館の建設と庭園の造営に着手
- 1890年(明治23年) - 8月28日-犀北館(西洋風旅館業)を開業。書家巖谷一六が犀川の北に所在するところから犀北館と命名。
- 1905年(明治38年)貴賓室『菊の間』を建設。同時に篆刻家初世中村蘭台による欄間額が完成。これより以降、各宮家の宿泊が数多くなる。
- 1906年(明治39年)善光寺中霊殿落慶法要のため、東郷平八郎が宿泊。三文字額を揮毫する。
- 1911年(明治44年)夏目漱石(当時 金之助)が議事院(現県会議事堂)で2日間の講演の為、宿泊。
- 1915年(大正5年)『桐の間』新築時に、寺崎廣業画伯が襖絵を製作する。
- 同年 善光寺仁王門制作のため、高村光雲他の彫刻家が数多く宿泊。同道した吉田芳明が『帰雁来燕』の欄間学を制作。
- 1929年(昭和4年)洋画家中川紀元が同道した、東郷青児画伯によるステンドグラスを制作。
- 1977年(昭和52年) -7階建て現在の 南館を竣工。
- 1978年(昭和53年) - 国民体育大会に行幸した昭和天皇が行啓[4]。
- 1994年(昭和54年)長野ホテル犀北館へ商号変更。
- 1995年(平成7年) - 現在の本館がグランドオープン。
- 1996年(平成8年) - 第9回長野市景観賞を受賞(本館建物)[5]。
- 2001年(平成13年) - 「婚礼パンフレット」が第15回全日本DM大賞 第6部門(サービス業部門)金賞を受賞[6]。
- 2002年(平成14年) -THE SAIHOKUKAN HOTELへ名称変更。
- 2004年(平成16年) - 信州ブランド・デザイン賞2004 入賞[7]。
- 2007年(平成19年) - 株式会社グッド・リゾートと業務協力協定を締結。東京グリーンホテルグループと共に資本参加。
- 2010年(平成22年) -県下初シャンパンバー『漆舎』をオープン。(開業時漆鮨)
- 2011年(平成23年)- 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に対し、同ホテルにて保管していた各宮家・政府要人用献立など80点余りを寄贈。
- 同年-東日本大震災並びに長野県北部震災による被災者への支援キャンペーンを実施。長野県北部地震の被災者に対する義援金として栄村へ寄付。
- 2013年(平成25年)-当時の天皇・皇后(現、上皇・上皇后)が初の私的旅行にて宿泊。
- 2015年(平成27年)-グループ会社「株式会社鐡扇」が館内に、『Delica 鐡扇 信州犀北館ホテル店』をオープン。
- 2016年(平成28年)-第67回全国植樹祭ながの2016開催のため、当時の天皇・皇后(現、上皇・上皇后)が行幸啓。
- 2020年(令和2年)-8月28日は西洋化及び犀北館の命名より130周年を迎え、重森庭園を竣工。