山本恒敬

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1940-03-20) 1940年3月20日
没年月日 (2024-11-21) 2024年11月21日(84歳没)
山本 恒敬
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県嘉穂郡穂波町
生年月日 (1940-03-20) 1940年3月20日
没年月日 (2024-11-21) 2024年11月21日(84歳没)
身長
体重
171 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1961年
最終出場 1973年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

山本 恒敬(やまもと つねゆき / つねよし、1940年3月20日 - 2024年11月21日)は、福岡県出身のプロ野球選手コーチ捕手)。右投右打。

飯塚商業高等学校から日鉄北松を経て、1961年に東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)に入団。

プロ8年目となる1968年に、一軍に初出場した後に徐々に出場機会を増やし、1970年は53試合に出場し、8月2日の小倉球場(現・北九州市民球場)での西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)戦では、観戦にきた母親の前でプロ初の本塁打(唯一の本塁打)を放った。

1973年に根本学藤池昇との交換トレードで大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に移籍し、1979年まで現役を務めた。

現役時代はほぼブルペン捕手であったが、その経験を活かし、1980年から1984年まで大洋のバッテリーコーチを務め、1985年からは東映時代の恩師・土橋正幸に招聘され1988年までヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)のバッテリーコーチを務めた。

ヤクルト退団後は北九州市で飲食店を経営した。

2024年11月21日、大腸がんのため死去[1]84歳没

詳細情報

脚注

外部リンク

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