日大藤沢高校では3年春に県大会準決勝で敗れたが3位となって関東大会出場して初戦敗退。社会人野球の三菱自動車川崎でプレー。社会人時代には主力捕手として活躍した[2]。1995年には日本選手権優勝も経験している[2]。高校の同期に社会人でも同僚になった渡邉博幸が、1学年下に河野亮がいた。
選手引退後は高校野球指導者に転じ、横浜隼人高校のコーチに就任する[2]。
2004年から母校の日大藤沢高校の監督に就任[3]。2007年春には選抜大会に出場している[3]。2018年からは兄の昌も特別臨時コーチとして同校の指導に当たっている[4]。