山田一郎 (ジャーナリスト)

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山田 一郎(やまだ いちろう、1860年7月16日安政7年5月28日)[1] - 1905年明治38年)5月27日[1])は、明治時代の日本ジャーナリスト。号は愛川

1860年万延元年)、安芸国安芸郡府中村(現在の広島県府中町)に生まれる[1]。藩校修道館(現・修道中学校・修道高等学校)、広島外国語学校で学ぶ[2]1876年明治9年)に上京し、東京開成学校に入学[2]。東京開成学校時代の同級生には、高田早苗三宅雪嶺有賀長雄田中舘愛橘らがいる[3]1878年9月、東京大学文学部に入学[1]高田早苗市島謙吉らとともに小野梓が主宰する鷗渡会に加わり、さらに立憲改進党の結党に参加[4]1882年7月、東京大学を卒業。同年10月、東京専門学校創立に参加し講師に就任、「政治学原論」の初代担当者を務める[5]1885年、東京専門学校を退職し、静岡大務新聞客員となる[1]1889年、富山日報主筆[1]1890年第1回総選挙に立候補・落選[1]。以降、各地の地方新聞を活動の場として、論説活動を行う[6]1905年5月27日死去[1]

評価

「非凡の天才」(有賀長雄[7]と評されながらも、東京専門学校の講師を3年で退職し、「生涯これという地位につかずに終った」「一種の奇人」[8]とされる。一方、著書『政治原論』、とくに政党論に関しては、同時代の議論の水準と比してその網羅性の高さから、高く評価されている[9]

著書

  • 『政治原論 総論』1884年。
  • 『政治原論 政党論』1884年。

脚注

参考文献

関連文献

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