山田広士
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1965年に中山・佐々木猛厩舎からデビューし、3月20日の中山第2競走5歳以上30万下・ギンコで初騎乗[1]を果たすと、7頭中7番人気の同馬で2着に入って枠連23870円[2]の波乱を起こす。4月17日の中山第6競走4歳50万下・ラコニアで初勝利[3]、第10回有馬記念が行われた12月26日の中山第3競走3歳新馬をハクヨウで勝利[4]するなど、初年度は7勝[5]をマーク。
2年目の1966年には10月1日・2日の東京で初の2日連続勝利を挙げて[6]初の2桁となる10勝、3年目の1967年には1月7日の中山で初の1日2勝を挙げるなど[6]自己最多の18勝をマークし、1968年まで3年連続2桁勝利を記録[5]。
1969年は8勝[5]に終わったが、障害転向後の全レースに騎乗した牝馬マウントブゼンで中山大障害(秋)を制して[7]重賞初勝利[8]を挙げるなど、8勝中6勝が障害と同年だけ平地の勝ち星を上回った[9]。
1970年には関西馬スマノリキュウで中山大障害(春)3着[10]に入り、「アラブの菊花賞[11]」と通称された読売カップ(秋)をヒノデオーザで制したが、重賞勝利は同年が最後となった[12]。
1971年には3年ぶりの2桁となる16勝[5]をマークし、1973年には秋の福島→新潟でタカエノカオリ[13]、秋の福島では後にプレクラスニーの母となるミトモオー[14]に騎乗。
タカエノカオリ・ミトモオーで共に新馬勝ちし、タカエノカオリでは9月福島の東北3歳ステークスでイナリトウザイの5着、10月新潟のチューリップステークス(200万下)でミトモオーの2着[13]。ミトモオーでは9月福島の3歳オープンでイナリトウザイの3着に入ったが、新潟からは騎乗しなかった[13]。
1973年の11勝が2年ぶりで最後の2桁勝利[5]となり、1975年の中山大障害(春)ではイチベイでグランドマーチスの3着[15]に入った。
1981年5月3日の東京第2競走4歳未勝利・エドジュンで平地100勝目を挙げたのが最後の勝利[16]となり、12月13日の中山第4競走3歳新馬・セイコウタカシ(17頭中16着)を最後に現役を引退[17]。
騎手成績
脚注
- ↑ “山田広士の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2026年4月22日閲覧。
- ↑ “5歳以上30万円以下|1965年3月20日”. netkeiba.com. 2026年4月22日閲覧。
- ↑ “山田広士の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2026年4月22日閲覧。
- ↑ “1965年12月26日のレース情報”. netkeiba.com. 2026年4月22日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “山田広士”. netkeiba.com. 2026年4月22日閲覧。
- 1 2 “山田広士の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2026年4月22日閲覧。
- ↑ “マウントブゼン (Mount Buzen)”. netkeiba.com. 2026年4月22日閲覧。
- ↑ “山田広士の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2026年4月22日閲覧。
- ↑ “山田広士の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2026年4月22日閲覧。
- ↑ “スマノリキュウ”. netkeiba.com. 2026年4月22日閲覧。
- ↑ 『週刊文春』1976年9月23日号 p.129
- ↑ “山田広士の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2026年4月22日閲覧。
- 1 2 3 “タカエノカオリ (Takaeno Kaori)”. netkeiba.com. 2026年4月22日閲覧。
- ↑ “ミトモオー (Mitomo O)”. netkeiba.com. 2026年4月22日閲覧。
- ↑ “HTML5 Webook”. www.jra.go.jp. 2026年4月21日閲覧。
- ↑ “山田廣士の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2026年4月21日閲覧。
- ↑ “山田廣士の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2026年4月21日閲覧。