山田忠雄
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業績
山田は国語学者として、『今昔物語集』の中で誤用・稀用・奇例と目されるもののから中世日本語の諸相を発掘するなど、主に古典研究の分野で確固たる地位を築いていた[6][7]。その一方で、辞書史研究をライフワークのように継続しており[8][9]、それまでの辞書の語釈の側面における「先行辞書の引き写し」などを問題視していた[注 4]。山田は「問題とする語が有する雰囲気を、丁寧かつ詳細に説明することで、本義の核心に迫る」という方針を採用することで[13]、この問題を解決しようとした[14]。
こうして1972年に出版された『新明解国語辞典』の編集主幹を務めたが、同じ出版社ながら見坊の『三省堂国語辞典』と袂を分かつ[注 5]。結果として山田は『新明国』、見坊は『三国』を担うことになる。山田の独力で可能な限り方針を徹底して編纂された『新明国』は、従来の国語辞典の概念を超える「新鮮さ」と「鋭さ」と「面白さ」が指摘された[14]。特に有名なのは、山田の没後に出版された赤瀬川原平『新解さんの謎』によるもので、これ以降に一部ファンから「新解(しんかい)さん」の愛称で親しまれるようになる。