山縣・ロバノフ協定
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概要
李氏朝鮮の宮廷内の親日派と親露派の権力闘争による不安定な政治情勢は、日露双方の利益を危険にさらしていた。そこで、1896年5月14日、漢城(現、ソウル)において日本とロシアは両国の駐朝鮮公使による小村・ウェーバー協定を結んだ。
ニコライ2世のロシア皇帝戴冠式に参列するため、特派大使としてロシアの首都サンクトペテルブルクに派遣された山縣有朋は、6月9日、ロシア外相ロバノフと会談し、西徳二郎駐露公使の助力を得て山縣・ロバノフ協定を結んだ[3]。協定では朝鮮の独立を保証すること、朝鮮の財政改革を促進すること、近代的警察及び軍隊を組織すること、電信線を維持することについての合意がなされた[4]。「利益線論」を唱えた山縣有朋は、交渉に際して朝鮮半島における日露の関係を対等なものにしようと図り、出兵に際しての駐兵地域を日露両国で定め、そのあいだに中立地帯を設けることを提案した[3][4]。いわば、朝鮮を日露両国の勢力範囲に分割しようということであったが、その境界は、資料により大同江のあたりであるとかソウル付近であるとか一定しない[4]。朝鮮を南北に分けるこの案について、ロシア側は駐兵地域はその場になってのちに決定すればよいとの判断から分割案を一蹴した[注釈 1]。しかし、この協定をもってしても、朝鮮半島におけるロシアの優位は動かなかった[4]。
