山野千枝子
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一旦事務員に就いた後、神戸高等家政女学院に入学、1913年(大正2年)に卒業[2]。同年、山野末松と結婚し渡米。美術雑貨商などをしながら[3]、ワナメーカー・ビューティースクールで美容技術を取得する[2]。
1922年(大正11年)10月、米国より帰国[2]。翌1923年(大正12年)3月、東京駅前にできて間もない丸ノ内ビルヂング4階に、婦女界社主・都河竜の援助により、「丸ノ内美容院」を開店[4][5]。寝ながら洗髪できるシャンプトレーの採用など、アメリカ式を取り入れ、連日新聞報道されて話題となった[5]。文金高島田の4倍という高額料金だったが、女優や上流階級の女性客が列をなし、見物客も押し寄せた[5]。
1929年(昭和4年)、大日本美容協会を創設。1946年(昭和21年)、全日本美容連盟を創設。1954年(昭和29年)、東京美容国民健康保険組合を創設(理事長に就任)。1950年(昭和25年)からは、東京高等美容学院の院長も務めた。
賞詞
著書
- 『女性美の創造』生命の芸術社、1935年
- 『光を求めて―私の美容三十五年史 』サロン・ド・ボーテ、1956年
- 『これだけは身につけよう―美しさをつくる美容手帳』集英社、1960年