1964年(昭和39年)12月、みやじま丸が大島航路に転属すると、宮島航路は、五十鈴丸、玉川丸と、3隻のモーターボート(みゆき・みさき・かざし)の運航により便数を確保していた。しかし、五十鈴丸と玉川丸は自動車積載可能であるが、海軍の運搬船を改造したものであり、老朽化が激しかった。そこで国鉄では、新たに3隻の建造を計画した。
山陽丸は1965年(昭和40年)6月30日に来島船渠で竣工し、同年7月15日より宮島航路に就航した[1]。本船は、同時期に就航した「みやじま丸」、「みせん丸」2隻と似ているが、中国地方の3航路(宮島航路、大島航路、仁堀航路)共通の予備船として建造された為、以下の点が異なっている。
- 山陽丸が一回り大きい。
- 山陽丸は1等船室を有する。
- 自動車積載数が異なる。(山陽丸は2台 他は1台)
晩年は宮島航路で使用されたが、1978年(昭和53年)7月31日、みせん丸(3代目)が就航したことによって終航となり、売却された。