岐阜市モノレール
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1964年に岐阜市議会で可決された名鉄岐阜市内線の撤去計画に際して[1]、撤去を進めたい岐阜市と存続の考えを持つ名鉄との対立の中で路面電車の代替案としてモノレール計画が浮上した[2]。
狭隘な道路に軌道があることから交通事故が多発し[1]、また渋滞に悩まされる岐阜市中心部の交通事情を改善し[3]、また名鉄美濃町線・名鉄高富線をモノレールに置換することで近代化し中心部と郊外住宅地との連絡交通の強化[3]、また岐阜市中心部 - 東海道新幹線岐阜羽島駅間のアクセス改善を目的とし、岐阜市と名鉄などで構成された「岐阜市都市交通研究会」が検討を行った[2]。
検討段階では地下鉄も候補に上がっていたものの市街地の地下水位が高かったことや[4]、都市モノレールの整備の促進に関する法律による建設費補助が受けられることもありモノレールを建設する方向性とした[2]。
しかし1967年に発表された名古屋鉄道との統合駅建設を含む国鉄岐阜駅周辺の増線高架化事業計画との兼ね合いで[4]、岐阜駅高架事業を優先して調査が先送りされた事や[5]、芥見線計画において当初216億円ほどの工費見込みが街路整備費も含め480億円に倍増し大規模な住宅移転の必要性が生じたこともあり、1975年に凍結され、1981年に断念されている[4]。