岡啓輔
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福岡県柳川市に生まれる。筑後市の船小屋温泉で育つ[3]。1981年、大牟田市の国立有明工業高等専門学校建築学科に入学[4]、1986年、同校を卒業。会社員などを経て、1988年から高山建築学校の活動に参加を始めた。その後、建築の勉強にのめり込んでいた頃、倉田康男から「建築だけやっていて建築家になれるほど、建築は甘くない」と、1年間の「建築禁止令」を出された。その間に和栗由紀夫から舞踏に誘われ、ダンサーとしても活動することとなった[5]。
1993年、セルフビルドを活動の中心とする岡土建を旗揚げした[6]。1995年から2003年まで岡画郎の運営を行なった[3]。岡画郎は、自由に参加できる参加型の場であり、不特定多数の参加者が集うことができた。参加者はテーマを定め、討議して、その場によっては作品制作や展示を行なった[6]。
2003年、蟻鱒鳶ルの案が「SDレビュー」に入選する。選考委員の藤森照信が、地下1階で地上3階の鉄筋コンクリート造の自宅を、セルフビルドで建設するという計画を高く評価したことによる(藤森賞を受賞)[7]。2005年11月末に着工し、東京都港区の三田にて、RC造の蟻鱒鳶ル(アリマストンビル、建築面積25平米、延べ床面積100平米)を敷地面積12坪(40平米)の土地[8]で造り始め、竣工を目指している[9]。200年もつ[10]といわれたコンクリートによって、70cmの打設により、建設されている。
脚注
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- 1 2 「教員紹介」 」多摩美術大学 彫刻学科研究室オフィシャルサイト
- ↑ 「Scenes Around Me[04]岡画郎との出会い」 」日刊デジクリ
- 1 2 『3.11以後の建築:社会と建築家の新しい関係』pp.237
- ↑ 『バベる:自力でビルを建てる男』pp.126
- ↑ 「#21 200年後のあなたへ。奇想のセルフビルド建築に刻む、ポストマン・シューズの"無重力舞踏" 岡啓輔+吉田山」 」ABC-MART GRAND STAGE
- 1 2 『高山建築学校伝説』pp.204
- ↑ 『3.11以後の建築:社会と建築家の新しい関係』pp.230
- ↑ 『バベる:自力でビルを建てる男』pp.6
- ↑ 『バベる:自力でビルを建てる男』巻末の著者紹介
- ↑ 「せかい!!:岡啓輔の200年」
参考文献
- 『高山建築学校伝説』2004年 著 趙海光 鹿島出版会 ISBN 4-306-04440-8
- 『3.11以後の建築:社会と建築家の新しい関係』2014年 編著 五十嵐太郎、山崎亮 学芸出版社 ISBN 978-4-7615-2580-4
- 「せかい!!:岡啓輔の200年」著 新井英樹(『セカイ、WORLD、世界』2018年 KADOKAWA )
- 『バベる:自力でビルを建てる男』2018年 著 岡啓輔 筑摩書房 ISBN 978-4-480-87396-5
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