岡崎酒造
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
| |
| 種類 | 株式会社[1] |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場 |
| 本社所在地 |
〒386-0012[1] 長野県上田市中央4-7-33[1] 北緯36度24分19秒 東経138度15分10秒 / 北緯36.40528度 東経138.25278度座標: 北緯36度24分19秒 東経138度15分10秒 / 北緯36.40528度 東経138.25278度 |
| 業種 | 食料品 |
| 法人番号 | 9100001009633 |
| 代表者 | 岡崎 謙一(代表取締役) |
| 資本金 | 1,000万円 |
| 関係する人物 | おかざき真里 |
| 外部リンク | 公式サイト |
特記事項:![]() | |
岡崎酒造株式会社(おかざきしゅぞう)は長野県上田市にある日本酒の蔵元である。日本酒の銘柄「信州亀齢」を製造・販売している。
概要
2003年から杜氏を務める岡崎美都里(12代目)は、岡崎光雄、時子夫妻の三女として1973年に生まれた[2]。
岡崎酒造の跡取り息子であった父、岡崎光雄は、京都大学農学部を卒業後、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝をはじめ全国の醸造家の子息が大勢学ぶことで有名な大阪大学工学部醸造・発酵系学科(大学院工学研究科醗酵工学専攻・昭和 41年博士課程修了)を経て母校の研究者となっていたが[3]、1983年に大阪大学薬学部から信州大学繊維学部に転任し[4]、家族とともに上田に帰郷した。
母の時子は長女が家業を継ぐものだと考えていたというが、姉二人は希望する進路があったため、小学生の頃の美都里は自然に「私が家業を継ぐ」と考えていたといい、「誰もやらないなら、私が継ぎます」と答えて跡を継ぐことになった[5][6][注釈 1]。美都里はその頃を回想して「家に残れてラッキーとしか思いませんでした(笑)」と述べている[8]。東京農業大学の醸造学科に進学し、卒業後は大手酒販会社への就職を経て実家に戻った[5]。東京農業大学に進学したのは、酒造りの基本を理解しておくためであり、杜氏ではなく、あくまで経営者として跡を継ぐ予定であったというが、実家に戻るとそれまで酒造りを担当していた当時71歳の杜氏が高齢を理由に退職を申し出てきた[9][10]。美都里は「やれる人がいないなら私がやろう」と考え、杜氏から4年間の指導を受けて、5年目である2003年から杜氏として独り立ちした[11]。当時の美都里は30歳であった[12]。また、28歳のときに東京農業大学の同級生で同じサークルに所属していた謙一と結婚した[12][8]。美都里は交際にあたって「婿入りできない人とは付き合えない」と言ったという[8]。2011年には当時番頭を務めていた従業員が引退したため、代わって謙一も蔵に入った[12]。謙一が蔵に入った2011年頃の岡崎酒造の売上は低迷しており[12]、2014年頃の生産量はわずか30石ほどであった[8]。謙一は「以前は、日本酒よりも土産物のほうがよく売れていたくらいなんです」と述べている[8]。かつての岡崎酒造の酒質について謙一は「雑味が強く、お世辞にも旨いと言える酒質ではなかった」と評している[8]。謙一はこのままでは経営が立ち行かないと考え、岩手県の南部美人で酒造りを修業し、日本酒アドバイザーの鈴木賢二のもとで学んだ[8]。初めて仕込んだ酒の出来はよくなかったが、水の濾過方法を変えるなど酒造りを一から見直し、酒を搾る袋を新品に変えたり発酵槽を木製からステンレス製に変えるなど生産設備を刷新したことで、2015年には関東信越国税局酒類鑑評会で吟醸酒部門の最優秀賞を受賞するに至った[8][12][10]。これがきっかけで「信州亀齢」の名が広まり[8]、2016年には120石[5]、2024年には500石ほどを生産するまでになった[8]。
