岡本兵四郎

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岡本 兵四郎(おかもと ひょうしろう、弘化3年6月9日(1846年7月21日) - 明治31年(1898年6月28日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将紀伊国和歌山藩出身。

弘化3年(1846年)、紀伊国和歌山藩に生まれる[1]。藩校で学んだのち、明治維新後の明治4年(1871年)に兵部省に出仕した[2]

明治6年(1873年)12月28日東京鎮台参謀長となり、明治10年(1877年)西南戦争の際には征討第一旅団参謀長として従軍し、作戦指導にあたった。明治11年(1878年)12月14日中部監軍部参謀、明治14年(1881年)1月17日西部監軍部参謀を歴任。明治15年(1882年)12月19日兼陸軍大学校幹事となり、翌16年(1883年)5月16日に正式に陸軍大学校幹事に任じられた[1]。同年にメッケル少佐が陸軍大学校に招聘された際、メッケルと根津一との間で衝突事件が起きた。当時、大学校幹事であった岡本は両者の間に立って仲裁に尽力したとされる[3]

明治11年11月21日陸軍大佐に昇進、明治19年(1886年)9月30日歩兵第6旅団長に任ぜられ、同年12月23日陸軍少将に進級した。明治26年(1893年)11月22日に休職となり、翌27年(1894年)2月29日留守第2師団長事務取扱、明治29年(1896年)5月19日再び休職を命じられたのち、明治31年(1898年)6月27日陸軍中将に昇進し、翌6月28日に死去した[1]。享年53。郷里和歌山県で没した。

軍学者としても知られ、明治11年(1878年)にはドイツ兵書の翻訳書『孛国陸軍歩兵教典前編』『徹底戦法 全』の2冊を出版した[3]。戦術の実務よりも兵学理論に優れ、当時としては先駆的にドイツ式兵学を紹介した。

人物

岡本は考古学的関心も深く、書斎には土器や古器物を数多く収集・陳列していたという。また如才なく温厚な性格であり、「一見して武人とは思えぬ人物」と評されている。

栄典

脚注

参考文献

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