岡村晃
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桃山学院高校では外野手、関西大学へ進学し三塁手に転向。関西六大学野球リーグでは1962年春季リーグで優勝を経験。同年の秋季リーグからレギュラーとして活躍。翌1963年秋季リーグでも首位に立つが、「西川事件」により優勝取り消し、1964年春季リーグ出場辞退の処分を受ける。同年の秋季リーグでは8打席連続安打のリーグ新記録を作る。4年生時には主将を任された。リーグ通算68試合出場、227打数58安打、打率.256、2本塁打。
1965年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから6位指名を受けるも拒否し、社会人野球の河合楽器へ入社[1]。1966年から2年連続で都市対抗に出場。この時のチームメートには二塁手の武上四郎、遊撃手の阪本敏三らがいた。
1967年にドラフト外で阪急ブレーブスへ入団[1]。俊足好守の内野手として期待されるが活躍の場には恵まれず、1969年限りで引退した[1]。