岡見氏 From Wikipedia, the free encyclopedia 岡見家(おかみし)は、常陸国河内郡牛久城を本拠地とした武家。 岡見氏は、筑波の小田氏から分流したが、小田氏が没落してからは小田原の後北条氏と同盟し、多賀谷氏と戦ってきた。そして、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の関東攻めで、岡見氏は後北条氏と共に牛久城を去った。 岡見領 最盛期の天正15年(1587年)から同18年(1590年)頃に岡見治広が後北条氏に提出したとされる「岡見氏本知行等覚書」によると、牛久城、東林寺城、谷田部城、足高城、板橋城が岡見氏の城とされる。城主は、牛久城が岡見治広、東林寺城が弟五郎左衛門、谷田部城が丹波に預)足高城が治広の又甥の岡見宗治、板橋城が牛久の旗下月岡上総介と記されている。 この他に土岐氏との境目の城とされた小坂城の存在が知られており、牛久市による調査が行われている[1]。 系譜 Summarize Fact Check 天正期の牛久岡見氏の当主は、岡見治部大輔治広で、足高岡見氏の当主が岡見中務少輔宗治。二人は「又甥」の関係にあり、牛久岡見氏が本宗として、常陸南部に勢力を伸張させていた。 実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係。 相馬胤村 岡見師房 師長師保小田治久 女 岡見邦知孝朝 国久持家 治頼朝久 頼久成治 治親治孝岡見義治 頼勝[2]宗治岡見治資義綱 宗治照親富重治重義知経吉 内膳某幕臣紀州藩士紀州藩士経吉 彦根藩士紀州藩士経豊 水戸藩士 系譜参考 日本の名字七千傑 武家家伝 水戸藩士 岡見氏 岡見弥次衛門 - 常陸国水戸藩士で、前述の牛久城主の子孫である[3]。延宝年間に郡奉行となり、新田開発を行った。新田は開発者である岡見の名をとって岡見新田(現常陸太田市)と呼ばれた[4]。 備考 赤松宗旦の『利根川図志』などには、岡見宗治の配下に栗林義長と言う名将がいたと伝えるが、実在性については不詳である。 脚注 ↑ 山川千博「岡見氏と小坂城の構造」『市史跡小坂城跡-城跡公園整備に伴う発掘調査書-』2012年。 /所収:高橋修 編『常陸小田氏』戎光祥出版〈中世関東武士の研究 第四〇巻〉、2025年8月、216-229頁。ISBN 978-4-86403-588-0。 ↑ 土岐治頼の子。 ↑ 牛久市生涯学習課『うしくの文化財』http://www.city.ushiku.lg.jp/data/doc/1407739561_doc_30_2.pdf ↑ 栗原功『再発見・牛久第三十五話』http://www.city.ushiku.lg.jp/data/doc/1427778183_doc_31_7.pdf 参考文献 牛久市史 原始古代中世編 伊奈町史 資料編一 龍ヶ崎市史 岡見文書・旧記集覧 Related Articles