岩倉道倶

From Wikipedia, the free encyclopedia

岩倉道倶

岩倉 道倶(いわくら みちとも、1881年明治14年)5月29日[1] - 1946年(昭和21年)10月9日[1])は、日本華族貴族院男爵議員

1881年岩倉具視の四男として生まれる[1][2][3]。1896年分家して、同年12月3日、父の勲功により男爵叙爵[4][5]学習院を経て[2]東京帝国大学文科大学修了[4]。1909年欧米視察[4]。1911年7月10日、貴族院議員となる[4][6]。福徳生命保険[7]、大成漁業各取締役、十五銀行監査役[2]。1932年以降米穀対策調査会、石油業委員会、液体燃料委員会、帝国石油台湾拓殖、樺太開発その他各設立委員[4][3]川崎造船所千代田火災保険各取締役を務め[3]翼賛政治会常任総務を歴任した[8]

戦後の1946年5月8日に貴族院男爵議員を辞職し[9]、その後公職追放となり[10]、間もなく死去した。墓所は東京都品川区海晏寺

栄典

親族

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI