岩利
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小字
小字は以下の通り[4]。
- 山後(やまうしろ)
- 角田(すみだ)
- 洞前(ぼらまえ)
- 森東(もりひがし)
- 本郷前(ほんごうまえ)
- 市場下(いちばした)
- 仲之町(なかのちょう)
- 壱町田(いっちょうだ)
- 赤尾(あかお)
- 北洞前(きたぼらまえ)
- 清水ヶ平(しみずがひら)
- 高部(たかべ)
- 佐野口(さのぐち)
- 本郷(ほんごう)
- 用洞(ようぼら)
- 東山(ひがしやま)
- 北洞(きたぼら)
- 円山(まるやま)
- 西山(にしやま)
- 本郷山(ほんごうやま)
歴史
江戸期は岩利村であり、美濃国方県郡のうち。はじめ加納藩領、のち幕府領となり、宝永2年からは高富藩領となる。村高は「慶長郷牒」「元和領知改帳」「正保郷帳」ともに819石余、「天保郷帳」「旧高旧領」は837石余。明治4年の村明細帳の戸数77・人口369、馬10、神社は八幡宮・天神宮・稲荷宮・若宮八幡宮2社、寺院は禅宗の慈眼寺・長泉寺・安楽寺・成功院・仙桃院・薬師庵、浄土真宗正蓮寺がある。「町村略誌」の戸数83・人口416。天保9年高富藩江戸藩邸類焼の際、石谷・岩利村の地主が作徳米59石余を質物として、岐阜下竹屋町渡辺甚吉より金500両を借用して上納したという(県史)。当村は伊自良川最上流の船付場で、荷物問屋1軒・運船12~13艘・通運会社1があったが、明治29年の大洪水以降船運はさびれた。明治4年岐阜県に所属。同30年方県村の大字になる[5]。
年表
小・中学校の学区
世帯数と人口
施設
- 岩利公民館
- 岩利洞公民館
- 岩利公園
- 岐阜県方県農業センター
- 岩利リサイクルセンター
- 正蓮寺
- 成功院
- 慈眼寺
- 安楽寺
- 長泉寺
- 八幡神社