岩本贅庵
江戸時代の儒学者・漢詩人
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生涯
寛政3年(1791年)阿波藩家老賀島氏家臣岩本景寛の子として生まれた[1]。幼くして父に家学・刺撃の術を学び、10代の時讃岐国善通寺関係の寺院に2年間遊学し、主に詩文を学んだ[1]。20代の時鉄復堂に入門し、朱子学を学んだ[1]。
文化11年(1814年)父の跡を継いで賀島政延に仕え、贅庵と号した[1]。しかし、文化14年(1817年)冬肺を患ったため、文政2年(1819年)弟寛随に跡を譲り、那賀郡富岡村の父の私塾を手伝った[1]。
儒家としての名声が高まると、文政12年(1829年)賀島氏の侍講に採用された[1]。柴野碧海門下として、天保8年(1837年)刊『枕上初集』の校字に携わっている[1]。天保13年(1842年)大小姓格に進んだ[1]。天保14年(1843年)9月新藩主蜂須賀斉裕の就任に際し、賀島氏に従って江戸に出、古賀侗庵・佐藤一斎・野田笛浦・菊池五山・梁川星巌・大沼枕山・小野湖山・梅痴等と交わった[1]。
嘉永5年(1852年)9月海防論にまつわる言論で罪を被り、投獄された[1]。嘉永6年(1853年)1月富岡村郷校暇修堂に学舎が新築され、講師として迎えられた[1]。後に高取格に進んだ[1]。