岩村町秋祭行事

From Wikipedia, the free encyclopedia

神輿渡御行列

岩村町秋祭行事(いわむらちょうあきまつりぎょうじ)は、岐阜県恵那市岩村町にある八幡神社、および武並神社祭礼である。1980年11月11日に岐阜県の重要無形民俗文化財に指定された[1]岩村秋まつりともいう[2][3]。祭礼の中心行事として神輿渡御行列が行われる。神輿を中心に平安朝の歴史衣装を身にまとった人々が隊列を組んで岩村町本通りを通って八幡神社から武並神社の間約2.5km[4]を往復する。

岩村町秋祭行事は八幡神社武並神社祭礼であり、神輿渡御行列が行われる。江戸時代は、旧暦の9月9日と10日に行われていたが、新暦になって10月1日と2日になり、昭和中期より毎年10月の第1土・日曜日両日に行われている。八幡神社の祭神は鎌倉時代初期に源頼朝に岩村一帯を含む遠山荘を与えられて領主となった加藤景廉であり、武並神社の祭神は景廉の子・遠山景朝である。

土曜日に平安調の歴史衣装をまとった76役総人員300人が、行列を仕立てて子・景朝の乗った神輿を奉じて武並神社を出発する。雅楽を奏でながらゆっくりと岩村町本通りを練り歩き、父・景廉が祀られた八幡神社へ参向する。父子が対面して一夜をともに過ごし、翌日、日曜日に景朝を奉じた神輿が再び城下町を抜け、武並神社に帰る[5][6]。 土曜日に八幡神社に到着した後、神輿は境内御旅所に安置され、御神体社殿遷座し、神事が営まれる。翌日は行列を組んで神輿を奉じ、八幡神社を出発して武並神社に到着すると、御神体を本殿に移して神事を行い、祭礼を終える[7]

歴史

約400年前から受け継がれる伝統祭事。寛永8年(1631年)に岩村藩主・松平乗寿武並神社を壮大な社殿を造営したのを機に、初めての城下町の氏神として多くの参拝者を集めるようになった。また、神輿行列を整え、城山八幡社へ向かう「岩村祭礼」という盛大な祭礼を行ったのが始まりと言われている[8]が、定かではない[1]

雅楽は、安政元年(1854年)に岩村藩主松平乗喬の許しのもと、町の祭典に雅楽を奉納することが決まったとされている。古式にのっとり、平安朝期の衣装、直衣烏帽子を着用し、篳篥龍笛太鼓楽奉行で構成される[9]。衣装・道具は江戸時代から伝承されている。また、御神馬に使用する飾馬具は、天保のころのものである[10]

特徴

武並神社での獅子舞奉納

神輿渡御行列は山上家文書の嘉永5年(1852年)「武並宮御祭礼規定」[11]に当時の構成が書かれており、基本的には現在も変わらず76役総人員300人が行列を仕立てる[12]。行列の役は先進行列奉行塩水(えんとう)、花車花馬御神馬などである[13]。 初日の晩には県指定の重要無形民俗文化財岩村町獅子舞の上演が行われる。岩村城下町の農村部「入り四郷」と呼ばれる4つの集落の人々によって保存伝承されてきた獅子舞である。旧岩村城下町の街路五か所(領家新町境・新町西町境・西町本町五丁目境・本町三丁目境)の路上で上演される。場所ごとに演目が異なり、「悪魔払い」、「おかめひょっとこ」、「いざり勝五郎」、「お染久松」、「葛の葉」、「八百屋お七」などの演目が上演される[14]。観衆はすべての演目を車座になり観賞する。獅子舞の獅子が女形を演じるという特徴がある[15]

神輿

神輿

行列の中心である武並神社神輿は、安政3年(1856年)8月に再造されたもの。工匠は信州諏訪の立川内匠正門人立川長三郎、彫師立川京介、同立川幸助、長三郎門人源三郎。台座から鳳凰までの高さが198cm、屋根の一辺の長さ167cm。本殿は73㎝角、台座は122㎝角。台座に488㎝の2本のかつぎ棒がつけられ、かつては16人ずつで担った。現在は神輿台車に乗せて引く[16]

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI