岩松寺 (中津川市)
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歴代住持
中津川市高山の常磐神社の北北西約400mの高台に、「髙嶽山 岩松禅寺」と刻まれた古い石柱が残っている。
宝永3年(1706年)に記された、「岩松寺建立につき金子借用証文」と、「高山村代々庄屋 佐見屋の後藤長太郎の文書」によると、苗木藩主の苗木遠山氏の菩提寺であった雲林寺の八等地の末寺として、慶安3年(1650年)に片岡寺が創建された後に、雲林寺の一秀玄廣の弟子である大休祖圓が創建したとされている[1]。住持職は首座禅師[2]であった[3]。
明治初頭に廃寺となるまで高山村(中津川市高山)一円を檀徒としていた[3][1]
岐阜県関市にある梅龍寺十五世の性堂の遺稿の中に、岩松寺五世の寂叟祖太に関する法語があるので、何らかの関係が考えられる。
寶暦 第十庚辰 小春 土蓂者 前 岩松 寂叟祖太首座之 十三回諱也、茲祖達首座 自致分衛次設 淨斎拝請 一堂之清衆 修繊摩曾一座 以酬太首座之徳 嗚呼 比太功徳 非功徳樹 無功徳 處却 失功徳 更 眞功徳 在何処耶 阿呵呵頌云 「寂滅定中寂滅人」「古岩松下愛多春」 「正當巳是十三■」「坐脱立巳摩不磷」
明治3年(1870年)9月、9世住持の士彦が49歳の時に苗木藩の廃仏毀釈によって廃寺となり、還俗して加納彦左衛門房継[4]に改名し、寺得の一部を貰い農事に従事した。
「高嶽山岩松禅寺」と記した石碑のみが残された[3][1]。また、歴代住持の墓石・位牌が同寺の一部を民家として改装した岩松屋に残されている[3][5]。その他の寺の文書は廃棄されたため、明確な寺歴を知ることはできない[1]。
その他、「金子氏[6]先祖代々」と記された繰出位牌[7]が残っている。
1973年(昭和48年)に岩松寺址(がんしょうじあと)として福岡町の指定史跡となり、現在は中津川市の指定史跡となっている[3]。
福岡町史によれば、歴代の住持は以下のとおりである[1]。