岩田孝八

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死没 (2012-07-03) 2012年7月3日(90歳没)
死因 老衰
出身校 藤沢商業学校
いわた こうはち
岩田 孝八
生誕 (1922-06-16) 1922年6月16日
日本の旗 日本神奈川県茅ヶ崎市
死没 (2012-07-03) 2012年7月3日(90歳没)
死因 老衰
出身校 藤沢商業学校
職業 実業家
配偶者 岩田静江
子供 岩田文明(長男)
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岩田 孝八(いわた こうはち、1922年大正11年)6月16日 - 2012年平成24年)7月3日)は、日本実業家である[1][2]長崎屋の創業者として知られた[1][2]

神奈川県茅ヶ崎市に生まれる[1][3]

藤沢商業学校(現在の藤沢翔陵高等学校)卒業[1]。2年間の浪人生活を経て、日本国際航空工業(のちの日産車体)に入社[3]。その後、軍隊生活を経験してから家業のふとん屋に就いた[3]

戦後間もなく氷水屋『オアシス』を開業。彼は連日自転車に乗って、アイスキャンディを売った[3]。この稼ぎをもとにして、1948年昭和23年)に平塚市で長崎屋布団店として開業する[1][2]1950年(昭和25年)には衣料品専門店に転業。その年の11月、原町田に支店の第1号が誕生した[3]

1952年(昭和27年)に長崎屋として株式会社化[1]、多くの衣料品の販売や衣料品以外の販売にも携わり[1]1961年(昭和36年)には代表取締役社長に就任した[1]1963年(昭和38年)には1年間で9店舗を開設[3]。その後は全国に進出し[1]チェーンストア展開を図り、1967年(昭和42年)には東京証券取引所第一部(現在の東証プライム)に上場[1][2]。従来のふとんや長崎屋は一変して、スーパー衣料品店の雄にのし上がった[3]。目標は三越で"大衆三越"を実現するべく、土地の下検分から開店披露へと東奔西走した[3]1988年(昭和63年)会長に退く[1][2]

2012年7月3日、老衰のため死去。90歳没[2]

家族

  • 妻・岩田静江 - 長崎屋ストア取締役[3]
  • 長男・岩田文明 - 東京大学法学部[3]。長崎屋社長。
  • 長女
  • 次女

写真集

脚注

参考文献

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