岩崎茂
日本の航空自衛官
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略歴
岩手県岩手郡岩手町土川出身[1]。一方井小、一方井中、盛岡第三高を経て防衛大学校(第19期)へ進む[1]。防大では航空工学を専攻し[2]、1975年(昭和50年)3月、防衛大学校を卒業後に航空自衛隊に入隊[1]。職種は操縦幹部(戦闘機パイロット[2])。第201飛行隊長(TACネーム"Garfield")、第2航空団司令、航空幕僚監部人事教育部長、西部航空方面隊司令官、航空幕僚副長等を経て、2009年(平成21年)7月に航空総隊司令官に就任。2010年(平成22年)12月24日に第31代航空幕僚長に就任。航空幕僚長時代には航空自衛隊次期主力戦闘機をF-35ライトニングⅡとする政府の決定を補佐した。2012年(平成24年)1月31日には第4代統合幕僚長に就任。竹河内捷次以来9年ぶりとなる空自出身の統合幕僚長であり(統合幕僚監部に改編されてからは初)、東北出身者として初の統合幕僚長である[1]。退官後は防衛大臣政策参与を務めた。 2025年(令和7年)、台湾行政院政務顧問に就任したが、このことを理由に中華人民共和国からは入国禁止などの措置を受けた[3]。
年譜
- 1971年(昭和46年)3月:岩手県立盛岡第三高等学校卒業
- 1975年(昭和50年)3月:防衛大学校卒業(第19期)
- 1986年(昭和61年)7月:3等空佐
- 1989年(平成元年)7月:2等空佐
- 1991年(平成3年)8月1日:第201飛行隊長。TACネーム"Garfield"1993年7月31日まで。
- 1994年(平成6年)1月:1等空佐に昇任
- 1996年(平成8年)3月25日:航空幕僚監部防衛部防衛課防衛班長
- 1997年(平成9年)12月1日:第7航空団飛行群司令
- 1999年(平成11年)12月10日:航空幕僚監部人事教育部補任課長
- 2000年(平成12年)6月30日:空将補に昇任
- 2001年(平成13年)1月11日:第2航空団司令兼千歳基地司令
- 2003年(平成15年)3月27日:航空総隊司令部防衛部長
- 2004年(平成16年)8月30日:航空幕僚監部人事教育部長
- 2006年(平成18年)8月4日:空将に昇任、第34代 西部航空方面隊司令官
- 2008年(平成20年)8月1日:第40代航空幕僚副長(田母神俊雄空幕長更迭に伴い、10月31日から11月7日まで航空幕僚長事務代理)
- 2009年(平成21年)7月21日:第40代 航空総隊司令官
- 2010年(平成22年)12月24日:第31代 航空幕僚長
- 2012年(平成24年)1月31日:第4代 統合幕僚長
- 2014年(平成26年)10月14日:退官。同日付をもって防衛大臣政策参与
- 2015年(平成27年)10月1日:ANAホールディングスに再就職(顧問)[4]
- 2016年(平成28年)6月30日:防衛大臣政策参与を退職[5]
- 2019年(平成31年)8月23日:実業之日本フォーラムに寄稿開始[6]
- 2023年(令和5年)4月29日:瑞宝大綬章受章[7]
- 2025年(令和7年)3月21日 : 中華民国行政院政務顧問に就任[8]
栄典
レジオン・オブ・メリット・コマンダー
瑞宝大綬章 - 2023年(令和5年)4月29日[7][9]
画像
- アメリカ軍の空軍兵学校を訪問した岩崎。
- マーティン・デンプシーと談笑する岩崎
- 来日したホートン英国防参謀総長と、盾を贈り合う岩崎
- アメリカ空軍司令部学校にて、講演する岩崎
- 米軍を表敬訪問した岩崎
- 儀仗を受ける岩崎
- 米統合参謀本部議長マーティン・E・デンプシー米陸軍大将(左)と岩﨑
