岸福治
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群馬県群馬郡金古町足門(群馬町を経て現・高崎市足門町)出身[1]。岸保五郎の三男として生れる。旧制高崎中学校を経て[1]、1912年7月、海軍兵学校(40期)を卒業し、翌年12月、海軍少尉任官。「満州」分隊長などを経て、海軍大学校航海学生となる。「野島」「長良」の各航海長などを歴任し、1925年11月、海軍大学校(甲種23期)を卒業した。
「鬼怒」航海長、軍令部第1班第1課参謀、「春日」教官、「八雲」副長、「室戸」「名取」の各艦長、海軍航海学校教頭、「扶桑」艦長などを経て、1939年11月、海軍少将に進級。第4艦隊参謀長、軍令部出仕などを務めた。
太平洋戦争には第9戦隊司令官として出征。第8戦隊司令官を経て、1943年5月、海軍中将となった。以後、海上護衛参謀長[1]、第1海上護衛隊司令官、第1護衛艦隊司令長官[1]、第7艦隊司令長官兼第1護衛艦隊司令長官、軍令部出仕を歴任し[1]、1945年9月、予備役に編入された[1]。